Saturday, April 26, 2008

国際コンペの審査委員としてメキシコシティへ




2008.02.16

2008年6月末に開催されるUIAトリノ世界大会の国際学術委員として1年半務めてきたが、そこで親交を深めたErnesto Alva氏の推薦でメキシコ建国200年•革命100年記念広場の国際コンペ審査員に招聘されることとなった。国際コンペの審査員となるのは今回が初めてだ。仰せつかった大役は光栄でもあり、責任が重く感じられる。

メキシコへの旅は魅力的だ。アメリカに人生の半分以上在住していたにも拘らず、南の国境を隔てた隣国にはカリフォルニアから国境チェックポイントを越えたティファナへ2時間ほど観光(らしくもなかったが)で訪れた時以来である。もう20年以上前のことだ。

カリフォルニアに住んでいると、メキシコ系アメリカ人の人口が50%近く在住しているので、それほどメキシコがエキゾチックな国だと思わないし、また彼らが典型的なメキシコ人だと勘違いしてしまう。メキシコシティに来てメキシコ人たちの違いが分かった。ちなみに僕のようなアメリカ在住の日系人も典型的な日本人ではないのだから。

メキシコシティは標高2240メートルの高原の盆地に位置し、首都圏の人口は2200万人を超え世界第1位の大都市だ。16世紀にスペインにより植民地化され、インカ帝国の遺跡もある歴史的な町であるとともに文化的にリッチな環境なのだ。

国際コンペはメキシコシティ都市計画局の主催により開催され、世界各から300案以上の応募があった。審査委員会は6人によって編成され、審査委員長はメキシコ建築界の長老であるペドロ•ラミレス•ヴァスケス氏が務めた。ヴァスケス氏は今年91歳になるが、丹下健三氏が設計した日本大使館ではローカル•アーキテクトとして丹下さんをサポートしたという。その他、メキシコでは著名な建築家たち、国立大学建築学部長フェリーペ•リアール教授、ベルナルド•ゴメス•ピミエント氏、地方都市メリダの若手建築家ハヴィエール•ムニョース•メネンデス氏、そしてコロンビア人でパナマで建築大学を開校し学長を務めるカルロス•モラレス•ヘンドリー教授と中南米一流の審査委員たちに僕が「国際枠」で加わることとなった。

審査会は1930年代の建築が建ち並ぶ比較的閑静な住宅街にあるホテルから並木道を徒歩10分ほどのところにある建築家協会の旧本部館で行われた。

審査会第一日は敷地の視察から始まった。植民地時代に築かれた旧市街地の中央広場から大通りの軸線上に位置するこのコンペの敷地となる広場には小さな教会が建っていた。周辺は工業地区だ。都市開発局は、この広場を中心として地区の再開発をもくろんでいる。

審査第一日目では各審査員により20案を選出し、それらについて議論が交わされた。ここで書き残しておきたいのは、審査の内容はともあれ、僕はこのコンペに審査で大変苦労したということだ。ご存知、僕の英語は皆さん曰く「native」であるが、じつはそれがここではあまり通用しなかったのだ。なぜならば、今回の審査員たちは皆、スペイン語圏の建築家たちばかり、また顔見知り同士ということもあり、必然的にスペイン語で審査に関する議論が進められたからだ。とくに、初日は初対面ということもあって、僕は「茅の外」に置かれていた。そして通訳が付かない。これではまずいと思い、他の審査員たちの信頼を得るために「営業的」スタンスをとり、休憩時間に必死になって会話を進めた。昼食にも積極的に自己アピールを試みた。その甲斐があって、午後からは他の審査員の助け舟的通訳が入るようになり、なんとか議論に加わることが出来た。

世界各地どこでも英語が通じるという安心感から世界を旅し、会合に出席しているが、これが当たり前ではないこともあるところに参加し、仲間の日本人建築家のみなさんのご苦労を肌で体験させて頂いた。

3日間にわたる審査会は無事終了し、記者発表を終えて、審査会は解散した。最後には審査員の皆さんたちと親交を深めることができ、皆との別れを惜しんだ。

ただし、ペドロ審査委員長だけは審査会の判定は不満として最後は欠席することとなり、慌ただしい裏舞台となってしまったのだが...

さあ、そして帰国を2日後に控えて、明日は町歩きと建築見学だ。


【GK】

Monday, February 25, 2008

ワークショップの本を出版しよう!


2008.01.18

イスタンブールの活動が無事に終わった。ワークショップが終了してから、すでに一年半経過している。このような状態で当時の記録を甦らせるのはそう簡単ではない。まずは、参加者を集めて
編集活動への協力を促す必要があった。しがし、当時のメンバーはチュニジア、マケドニア、インドネシア、日本など世界各地に散在していて、地元の参加者たちも海外で就職していたり、社会人としてなかなか時間がとれず苦労した。このような困難ななか、8名ほど集まって夕食をする機会をもった。2005年にアジア近代建築ネットワーク’(mAAN)の国際会議をこの地で開催し、その前年に上海で開催された産業遺産ワークショップについて発表し、その記録となる本が2007年に出版された。今回はその第2弾となることを参加者に伝え、その重要性を強調した。彼らは、僕がイスタンブールを訪れたことで、多少、エキサイトしてきたようだった。



【GK】

イスタンブール産業遺産の再生に参加




2008.01.12

今日から一週間、トルコのイスタンブールへ出張する。
今回の出張の目的は、2006年5月に当地にて行われた産業遺産再生ワークショップのまとめ
として記録となる本の出版作業を進めるためだ。ワークショップは、僕が過去4年ほど関わってきた20世紀の文化遺産である工場や倉庫などの建築物の保存、活用についての提案をすることを目的とした。そして、その手法の発案などをイスタンブール工科大学の研究者たちの協力のもと、インドネシア、トルコ、日本の建築家たちが、若手建築家とともにチームを編成しいくつかの提案をしたものだ。
地元のコーディネーションを担当したのが同大学の助手を務めるネシェ・ド−サンだ。ワークショップを無事に成功させた後、彼女はフルブライト奨学生としてハーバード大学で一年間研究活動に専念するためイスタンブールを留守にしていた。彼女が帰国し、ようやく出版に向けての活動が再開するという訳だ。 ワークショップは1年半前に実施されたが、その後、実際の工場はどうなったか、そして、果たして売却先の地主はこの産業遺産をどう再生するのかなどが興味深いところだ。

                                                         
【GK】

2008年はUIAトリノ世界大会の年




2008.01.07

年が明けて2008年になった。昨年の暮れは例年と異なり、海外で過ごすことなく久しぶりに東京で正月を迎えることが出来た。僕は、基本的にはナマケモノのようで、何もしない時はだらだらと時間を過ごしてしまう。2008年の年明けはそんな毎日が続いた。
久しぶりに三浦半島の松輪港へ釣りにも出かけた。船釣りで、ライトタックルで鯛を狙うのだか、なかなか本命をつり上げることが出来なかった。元気なイナダを何本か釣って楽しんだ。
2008年といえば、今年はUIA(国際建築家連合)の世界大会がイタリアのトリノで開催される。
3年に一度の建築家のオリンピックと言われる世界大会では世界各地から10000人以上の建築家たちが集まる。ここでは、建築家たちが分野に関わるすべてのことを議論し、また情報交換する重要な場となっている。6月29日から一週間開催されるが、僕はこの大会のプログラムを提案する委員を務めてきたこともあり、とても楽しみだ。そして、このトリノ大会で、次回の開催都市である東京が本格的に紹介され、いよいよ2011年の開催に向けて本腰になって企画が進められる。この東京大会では、広報担当の責任者として重圧のある役目を仰せつかっている。もうすでに2年間大会成功を目指して活動してきた。これからもっと忙しくなるだろう。
2008年の海外研究活動では、韓国、中国、インドなどに遠征することを計画しているが、国内でも千葉県銚子市のまちづくりについての調査も行う予定だ。


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Saturday, February 02, 2008

韓国建築家協会設立50周年記念大会にて基調挨拶を行う




2007.11.13

11月に入って緊急出張に出かけた。韓国建築家協会(KIA)の設立50周年大会の基調挨拶と韓国登録建築士協会(KIRA)会長との面談の二つの任務をJIA仙田会長から仰せつかった。KIA大会はソウル市にある旧ソウル駅舎にて開催された。この建物は近代都市遺産として重要な建築物であり、大韓民国史蹟283号として登録されている。設計は東京帝国大学教授塚本靖と朝鮮総督府の建築家ドイツ人ゲオルグ・ラランデによるもので1925年に竣工し、2003年に閉鎖された。
KIA大会式典には国会議員や在韓シンガポール大使などが招待され、僕は2人目の登壇者として仙田会長よりの祝辞を述べた。式典が無事終了し、引き続き夕食会が開催された。韓国建築界の重鎮たちが出席し、プレゼンテーションではKIAに貢献した歴代の会員たちがパワーポイントにより紹介された。駅舎内には様々な作品や50年史の展示などがあり、第2次世界大戦後日本統治から独立し、自らの道を歩んできた隣国韓国の建築家たちの達成した業績に僕も感激した。韓国建築家たちは、これから、さらなる発展と国際的に影響を及ぼすことは間違いない。
翌日は、今度はKIRA本部を訪問した。先月、東京国際フォーラムにて開催されたJIA20周年記念大会に招聘したFIKA(韓国建築団体連合)の会長を務めるHanKIRA会長との一カ月ぶりの再会だ。
仙田会長からのメッセージを伝え、今後の日韓建築界の親善関係やアジアの建築家の将来についてなど、柳(Ryu)春秀副会長を交えて2時間ほど会談した。そこへKIRAのキャンペーン・レディとして活動を始める韓国の有名キャスターさんが登場し、Han会長へ表敬訪問。僕も一緒に記念写真に収まることができた!
懇談後、一行は近所の老舗韓国料理店にて会食を楽しんだ。僕の帰りの飛行機は金浦空港から4時出発だったので、途中で失礼して空港へ向かった。
今回のクイック出張は韓国の二つの建築家団体の会長、また、名誉会員の先輩たちと友好関係を築くことができたことでとても有意義な旅だった思っている。



【GK】

Sunday, January 13, 2008

マゼランが殺害された島、セブ島でフィリピン建築家たちにメッセージを伝える




2007.10.27

フィリピン建築家協会の大会は2度目だが、彼らは毎年2度開催される全国大会の式典を盛大に行う。2004年にマニラで開催された大会では2000人が晩餐会に参加し、そこで行われる式典で、新しくノミネートされた名誉貢献会員(フェロー)が、大学の式典で総長、学長、学部長らが纏うようなガウンを着用し、栄誉ある儀式に参列する。クラシック音楽が奏でられるなか、建築家として、職能に対して、また社会に対して貢献した建築家たちが一人一人名前を呼ばれ、栄誉あるFUAP,の称号を受け取る。
またエンターテインメントとして伝統芸能のパフォーマンスなども披露され、僕たちのような招待客はフィリピンの文化に圧倒される。

今回の講演では仲間でもあるマレーシア建築家協会会長のタン博士と地元フィリピンの環境活動家レナト・コンスタンティノ氏とともにフィリピン建築家たちにメッセージを送った。僕はアジアにおける建築家の社会活動の意義として、自分が参加しているアジアの近代建築再生プロジェクトの事例を交えて語った。
もちろん、建築はそれに携わるものにとっては職業であるし、各自の家庭を支える収入源ではあるが、建築という社会性をはらんだ事実はただの収入源として考えるのではなく、社会の健全な進化と人々の幸せな暮らしというように、人間の存在のすべての要素に貢献できる可能性のある職業だということを、元気に働いている建築家たちに、また、これから建築家を志す若者たちに伝えたいという思いを持ってフィリピンでも壇上に立った。

ところで今回の大会はセブ島で行われた。セブの町は、人口と文化的にフィリピン2番目の都市だそうだ。僕にとってセブ島とは、日本人がよく行くリゾートアイランドか、セブマンゴで有名なところと結構世俗的な知識しかなかった。ところが、じつはあの大航海時代の冒険家マゼランがフィリピン諸島を発見した場所であり、また彼が世界一周の途中、原住民に襲われ殺害された歴史的な場所であることを知った。その歴史的な事実の重さは、リゾートタウンと共にセブの町の重要性を誇張していた。旅は人を知識人に仕立て上げてくれるものだということをこのような場面で実感する。
今回の大会に参加させて頂いたことで、また多くの新しい友とのネットワークを築くことができた。感謝!!!

【GK】

Thursday, November 01, 2007

セブマンゴの原産地に行く




2007.10.26

今回の海外出張はフィリピンのセブ島だ。ここ数年マイブームはセブマンゴだが、原産地へ建築の講演で行くとは夢にも思っていなかった。日本人にとって、セブ島はリゾート地のイメージがある。しかし、実際はフィリピン3地域である中央地域最大の主要都市なのだ。
今回は第16回フィリピン建築家協(UAP)全国会議の講演者としてUAPより招聘された。話によると、今回の全国会議を開催するにあたって、会員対象のアンケートを実施したさい、過去に聴講した講師の最も多くアンコールをもらったのが小生だったとか...誠に光栄でした。この会議は週末に開催されたが、フィリピンでは日本で言うところのお盆の時期で、飛行機が満席だったり発着が遅れたり、空港はパニック状態だ。僕のフライトも5時間以上トランジットして、セブ空港に到着すると迎えが来ていなかった。じつはホテル名も知らされていなく、途方にくれるところだったが、空港にあるホテルブースで聞いたところ、僕の予約があった!ということで無事にホテルにチェックインすることが出来た。

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空港から大学へ直行



2007.10.15

成田空港に到着したのは7時45分。通関後、リムジンバスに乗り、新宿へ向かった。新宿到着が9時30分。そこから、車で大学へ直行。実は国士舘大学ではAO入試が行われる日だ。
学系主任として、学系の入試を責任もって運営する立場から、他の教員に迷惑をおかけしているからこそ、遅れないように試験場に到着した。先輩の先生方、H,M両教授が今回の入試の運営を快く受け持って頂いていた。僕はたいへん恐縮した。AO入試は無事に終わり、僕のヨーロッパ出張は完了した。僕はいつも思う。自分はハツカネズミに生まれているはずだったのではと...

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トリノ出発



2007.10.14

トリノ出発だ。次にこの地を訪れるのは、世界大会開催の時だろう。2008年6月が楽しみだ。
さて、飛行機に乗って、フランクフルト経由で成田空港に向かう時間だ。

Wednesday, October 31, 2007

2008年UIA世界大会とフィアット王国トリノのために...


2007.10.13

第3回目の2008年UIA世界大会国際学術委員会が開かれた。今回は大会本部となる新オフィスの事務開きとなる会議だ。今回の委員会のメンバーと共に提案してきた大会プログラムの内容がほぼ固まり、午前中はイタリア大会実行委員会からの報告を受けた。僕がアメリカ代表委員でエジプト人のTarek Naga氏からの後押しもあって提案したトルコ人作家でノーベル文学賞受賞者のオーハン・パミュック氏が基調講演を前向きに考えていることが伝えられた。アジアとヨーロッパの架け橋であるトルコ出身で国際的な人物の出席は多いに盛り上がることだろう。午後には、地元、トリノが企画する様々なプログラムのプレゼンテーションが行われた。なかでトリノの若手建築家たちが提案するYoung Architects Forumは彼らの世界トコミュニケーションを図ろうとする意気込みを感じた。やはり若者パワーは世界どこでも新鮮で気持ちがいい。こうしてあっという間に一日が終わり、僕たちは大会会場に予定されている「リンゴット」と呼ばれるフィアット工場跡に向かった。会場の視察だ。ここは、現在では再開発によってコンベンションセンターとなっており、屋上には、レンゾ・ピアノ設計のヘリポートが、フィアット社の伝説的テスト・サーキット上に王冠に飾られる巨大な宝石のようにその存在を誇張していた。でも、ぼくはサーキットに上り、夕日を見ながら同僚委員のJoseph Rykwertの記念撮影をしたり、チンコチェントの名で親しまれたフィアットの小型自家用車Fiat500型復活版のディスプレー展示を楽しんでいた。
夜は東京−トリノ文化プログラムを一緒に企画しているトリノの建築文化組織の創設者ロレーナとその仲間たちとの夕食会に参加した。9人の建築家たち、なかにはトリノ在住で元磯崎アトリエのプロジェクトに参加していたShinobuさんもいて、和やかな雰囲気でピエモンテ料理を満喫した。このような建築家の仲間たちが世界中どこにでもいることは、37年間建築の世界にいる僕にとって、これからのグローバル・アーキテクト・コミュニティが密接なネットワーキングを通してより親密な関係を築いていけることの証となった宴だった。

                                                         【GK】

Sunday, October 28, 2007

イタリア王家サヴォイ家の王子に遭遇する!




2007.10.12

トリノに到着し、12日はトリノ商工会議所の招待により会頭を表敬訪問しました。会議所は18世紀に建てられた市街地の大邸宅をオフィス使用していました。まるで映画に出てくるようなバロック様式の邸宅で、天井高は4メートルほどあるのではないでしょうか?会頭は小柄な紳士で確かフィアット関連の会長などを歴任された方だとおっしゃっていました。また、トリノは名古屋市と姉妹都市だということで、UIA2011年東京大会成功のために名古屋市長に応援を頼んでくださると意気込んでおられました。つぎはトリノ工科大学の付属研究所である「SITI」という都市計画研究所のコルシコ教授を訪問しました。教授は現在、トリノ市副市長をも務められていて、トリノの工業都市からデザイン都市への変遷に深く関わられておられるようです。コルシカ教授は駐日イタリア公使夫人のローラ・コルシコ・アマティさんのお父様です。来年のトリノ世界大会で、日本代表団へ無償でSITIオフィスを貸してくださるという素晴らしいオファーを出されました。これは2011年東京大会実行委員会(JOB)へ報告できるうれしいニュースです。JOB関連の訪問を終え、トリノ大会の企画である「Flows」という、ポー河の畔に並ぶボートクラブのクラブハウスを利用して、世界各国のパビリオンとするプロジェクトの現場に案内されました。僕が訪ねた歴史あるクラブハウスは河川敷に出現する夜の屋台飲屋街の真正面で市中心部から徒歩5分ほどの対岸にありました。
これも日本館として利用することが可能だそうです。さて、夕方の宮殿のオープンハウス(パレス!!)に行く準備のためホテルに戻りました。
夕方はバスで宮殿に向かいました。宮殿は静かな郊外の街にありました。到着するともうすでに宮殿前の広場では観光大臣のスピーチが行われていて、数千人のVIPゲストが集まっていました。しばらくして、イタリアを支配していたサボイ家の王子も来られているということが知らされました。王子は、国外追放されてから50年以上ぶりに、初めて国内へ公式に招待され、旧自邸(別荘だが)を訪問したのです。僕はミーハー的に王子を発見し、写真を撮ることに成功しました。今夜はヨーロッパ上流階級の世界をちょっと覗いたひとときでした。


                                                          【GK】

Friday, October 12, 2007

アルプス上空で



2007.10.11

さて、現在イタリアに向けての機内にいます。ちょうどアルプスの上空を飛んでいるところです。
3度目のトリノ訪問です。今回も2008年6月に開催されるUIA トリノ世界大会の国際学術委員会に出席するためにやってきました。もうメンバーとは顔見知りになり和気あいあいと2日間を過ごすことになります。今回の訪問は委員会のほか、今年から2011年に開催される東京世界大会まで継続的に進めていく「トリノ-東京建築文化プログラム」の打合せや、来年来日を計画しているトリノ商工会議所の会頭との面談なども兼ねています。
また、先週イタリア大使館でお目にかかったイタリア公使夫人の父上で建築家のCorsica教授との面談も予定されています。
そして、12日の夜はイタリアの王家であったサヴォイ家の宮殿の長期にわたる補修工事が終わり一般公開される記念レセプションがあるそうです。委員たちはこの宴に招待されています。楽しみです。

                                          
                                                         【GK】

スリランカではアジアの建築家たちが集まった




2007.10.11

最近、頻繁に出かける海外出張で出席する国際会議での僕の役目をお話します。時には日本を、時にはアジアを代表して会議に出席していますが、いつも心がけていることは、日本やアジアの建築界の諸問題をグローバルな視点をもって伝えることです。そして、諸外国の意見を聞き、その場で発信される情報を収集、解釈、分析し、アジア、日本の建築界が理解できる情報を持ち帰り正確に伝えることが自分に与えられたミッションだと自負しています。

明日からヨーロッパですが、その前に書き残していた9月の旅のまとめを書きます。

9月にはクアラルンプールで開かれたアガカーン賞授与祝賀式典に行ってきましたが、その後、ARCASIA Forum 14(9月15日〜20日)にも参加しました。
2日間のアジア建築家評議会 (ARCASIA) 理事会では韓国のK.C. Yi会長のもとでマレーシアのTan Pei Ingさん、バングラデッシュのMubasshar Hussein氏とともに副議長を務めました。とくに大きな問題はありませんでしたが、今後ARCASIAをアジア地域において建築家協会の連合組織として国際的にどのような位置づけをもつかを議論し、特に国際建築家連合(UIA)との関係などを念頭において地域の範囲を定義しました。変動するアジアに対して十分に有効な組織で有り続けることを目的として一丸となって活動していかなければならないと感じました。もちろん、各国の国内事情がありますが、グローバルな時代のなかで国内事情に内向的な視野から取り組んでいくのではなく、外向的なスタンスで解決していくのが必至だといつも思って活動しています。

2007年のARCASIA Forumはアメリカ建築家協会よりゴールドメダルを授与されたニューメキシコの建築家アントアン•プレドック氏を基調講演者として迎え、1時間余り50年にわたる建築家としてのキャリアを語って頂きました。スライドを交えた講演では、氏の力強い初期の作品から、近年の奇想天外、創造的な建築までを「思想家・夢想家」的なノリで近作などを紹介されました。そのほか、最近、国際舞台で人気上昇中の若手建築家たちも登場しました。日本からは手塚貴晴さん、韓国からはCho Minsukさん、タイからはDuangrit Bunnagさんが発表し、同時にシンガポールからは環境建築家の大御所Tay Kheng Sungさんが講演者として参加されました。僕もChoさん、Duangritさんのセッションのモデェレーターを務めました。
このような会議に参加していつも思うのですが、地元の建築家、学生たちにとっては貴重な体験であり、「伝える」ということの重要性を改めて認識しました。また、地元のホスピタリティは素晴らしく、担当者たちはとても親切で一生懸命になって僕たちに対応してくれました。もちろん、僕も様々なイベントや会議の開催に関わっていますが、同じような心こもったホスピタリティを提供していきたいと思っています。
ARCASIAの会合では、毎年、最後の夜の「フレンドシップナイト」がフィナーレとなります。この夜は、17カ国からなるARCASIAメンバー国の代表が自前のパフォーマンスを披露します。日本は浴衣、着物、じんべえ姿で「神田川」を歌いました。
仙田会長夫妻、古谷誠章一家、太田隆信夫妻などを含む日本チームは、みごと二等賞を獲得しました。ちなみに選曲は国広が担当し、衣装は仙田会長夫人が担当されました。来年のARCASIA ACAは韓国、釜山で開催されます。

                                                         【GK】

Monday, September 03, 2007

第10回アガカーン賞発表・授与式典に出席する


2007.09.04

2007年の夏、マレーシアを3往復することになった。毎月ここクアラルンプールに来ているが、今回の旅は特別な理由がある。
第10回目のサイクルとなるアガ・カーン財団主催である栄誉ある「アガ・カーン建築賞」の発表・授与式に招待されたからだ。アガ・カーン氏はパキスタンを中心として広く信仰されているイスラム教宗派の教祖が設立した国際社会福祉事業財団だ。イスラムの精神(これは普遍的な精神であると考えている)に基づく建築(公共の建物で社会性を持つもの、貧困社会のための開発プロジェクトなどはほんの一例だが)に与えられる賞で審査員は著名な建築家や学識者が3年ごとに招集され、世界各国からノミネートされた300件近い候補作品を1年以上かけて審査し、10件程が最終的に受賞作品として選ばれる。昨夜開かれたアガ・カーン氏主催の晩餐会ではカーン氏と子息たち(princeとprincess) がゲスト一人一人と握手を交わし挨拶をされていた。僕も建築賞ディレクターのFarrokh氏に紹介され、現在構想中のプロジェクトの話を伝えることが出来た。
残念ながら日本ではまだこのアガ・カーン賞とアガ・カーン財団の実績を知らない。プリッツカー賞ばかりに目が行ってしまって、本質を探求するこの賞の価値に気づいていない。この一年、何とかしなくてはなりないと思い行動を開始した。
写真のペトロナスタワーも且つてアガ・カーン賞を受賞したアメリカに事務所を構えるアルゼンチン人建築家シーザーペリの作品だ。
建築家を目指す若者たちへ:建築を通して社会に貢献することを忘れてはならない!

                                                         【GK】


          

Friday, August 31, 2007

福岡大学の日本建築学会大会に参加する



2007.08.31

2007は年度日本建築学会は福岡大学で開催された。今年、国広研究室からは5本の研究発表を行った。国広研が大会で研究報告を始めたのは昨年からだ。昨年は佐藤誠君、近藤雅哉君、中鉢裕行君の六本木ヒルズについて、そして三村豊君のインドネシア・メダンにおける鉄道官舎建築の増築と変遷についての発表の2本だった。今回は9名のM1が、また3月に修士課程を修了した坂本徹君がバングラデッシュのオールド・ダッカ地区の研究を発表した。それぞれ無事に発表し終え、夏休みの建築への旅に出かけていった。僕は、JABEE(日本技術者教育認定機構)のパネルディスカッションで司会を務めた。今回は2年連続のPD参加であったが、UIAバリデーションの認定を目指して大学院JABEEを来年にスタートし、学部4年+大学院2年のシステムを立ち上げる中、JABEE認定校増強に力を入れなければならない事情があるからだ。最近、日本は国際政治、経済の土俵でも、また、こういう建築界の国際的な場面でもどうも内向的であり、実際には孤立してしまうのではないかと気がきではない。ほんとうはもっと自分の身の回りの研究や設計活動に力を入れなければならないのだか、いつしか国際的視野にたった活動に走ってしまう今日この頃なのだ。
建築巡りが限られた時間で行った。28日の午後福岡入りし、福岡アクロスで開催された「21世紀アジアの環境建築を創造する」というシンポジウムを聴講した。アジアからは中国の張英和氏と韓国のCho Minsuk氏が参加していた。張さんは5月にテキサスであったとき以来、Choさんは7月にクアラルンプールで会ったばかりだ。二人ともアジアを代表する若手建築家たちだ。会場となったアクロスは環境建築の成功例ともいえる自然と建築の融合だ。結構感激した。また、大会最終日の午後、大会に参加していたシーラカンスの工藤和美さんが何人かの仲間を会場近くに最近完成したさつき幼稚園を案内してくれたのに参加した。木造、RCの幼稚園は博多湾を眺望する豊かな敷地に建っていた。子供スケール、先生の管理体制を重視した広々とした暖かみが感じられる空間。まだ新しい木構造が美しかった。ポニーやウサギくんたちと遊べる園児たちがうらやましい。そういえば、この間、大学で同僚の南康裕さんが設計した西麻布のレストランを当事務所の谷田君に案内してもらったときに、近所に僕が半世紀前に通ったみこころ幼稚園に遭遇した。それは言葉に表せない感動の一瞬だった。


【GK】

Tuesday, August 28, 2007

香港ではシンポジウムと広東料理...飲茶も!




2007.08.10

マレーシアでの会議が終わり、香港へと向かった。香港を訪問するのは4年ぶりになるのではないか?前回は安藤忠雄さんと国際デザインシンポジウムに出席した。今回は8月6日から9日までの滞在だった。香港中文大学(CUHK)で行われる「アジアの文化的公共圏」をテーマとしたシンポジウムにパネリストとして出席するためだ。CUHKは雑然とした香港の中心部から電車で30分ほど行った緑の丘の中腹に建っていた。生憎、雨だったが僕たちはシンポジウムに集中し、無事に発表と討論を終えることが出来た。久しぶりの香港だったので、真夏の炎天下の中、町を歩き、香港的都市空間の写真を撮りまくった。通りにキャンテレバーで突起する巨大な看板群。高層集合住宅ラッシュの風景。香港とカウルーンを結ぶフェリーとハーバー風景。香港サイドのピークの眺望。どれを見てもとってもやっぱり香港は魅力的だ。また、植民地建築と現代建築が共生し、町並みを豊かにしているのにも目が引かれる。僕たちは滞在中、飲茶2回、そして日本では味わえない香港料理を毎晩満喫した。
帰国して、また、香港へ行きたくなった。

                                                           【GK】

Saturday, August 04, 2007

国際アジア学者会議2007に出席!



2007.08.03

また、クアラルンプールにやってきた。8月1日から9日まで、ここマレーシアと香港で学術会議とシンポジウムに参加するための海外遠征を行っている。今回はInternational Conference of Asian Scholars (ICAS)という国際アジア学者会議に出席するためだ。会場は先月と同じクアラルンプールコンベンションセンターということもあり、慣れた環境だ。会議では、国士舘大学アジア日本研究センターの一員として、「アジアにおける文化的公共圏の可能性」というテーマで4人のパネリストの一人として論文を発表した。21世紀アジア学部の土佐昌樹、青柳寛、佐藤研一氏らとそれぞれの論文を発表し、カナダのNova ScotiaにあるSt. Mary’s UniversityのZoreh Bayatrizi氏がコーディネーターとしてセッションをまとめた。僕の論文は、自分が2001年から関わってきたアジア近代建築ネットワーク(modern Asian Architecture Network)のアジアにおける20世紀近代都市遺産の保存、再生活動がドイツの文化人類学者ユーゲン・ハーバーマスの論じた「公共圏」の一例であることを述べたものだ。こうして、他分野の研究者たちと一緒に自分の興味がある「アジア」という視点から研究を行うことはとても有意義でフレッシュな気分になる。他にも梶原景昭、樋田満氏を含めたパネルでは、アジアのsocial dreamingをテーマに政治と社会についてのセッションが開かれ、アジア研究における国士舘大学の存在感 が大きく現れていた。国士舘大学にはこうして真剣に大学を代表して国際的に研究成果を発表していくセンターがあることを誇りに思う。大学もどんどんこの国際的なセンターを支援していってもらいたいと願っている。
【GK】

Saturday, July 14, 2007

UIA, ARCASIA会議が同時にスタート!




会議スタート!

2007.07.04

今朝はゆっくりと始まった。朝食は5階のレストランでとった。定番の朝食のビュッフェだけではなく、朝から寿司やラーメンなども準備されていた。集まったアジアのVIPたちと共に朝食をとり、午前中は、部屋で会議前の準備をした。昼からの会議はARCASIA Professional Practice委員会、つまり、建築業務についてアジア各国が情報交換、また、越境業務などについて話あう委員会だ。今回の出張には日本からは僕だけが出席していないので、時間があれば、全会議に出席してほしいとの日本建築家協会からの要請があったからだ。会議は一時間で終わり、引き続き、UIAの役員会に出席した。役員会にはホスト地区の理事が出席することになっていて、ここでも、岩村和夫第4地区理事に変わって副理事として日本からこの委員会に出席することになった。
第一日目の会議が無事に終わり、夕食はペトロナスタワー42階にあるメンバーズクラブが会場だ。今夜は、昨年ゴルフのプレー中に逝去されたヒシャム・アルバクリ前UIA副会長を偲ぶ会として企画された。アルバクリ氏はマレーシア独立とともに建築家協会設立に貢献し、英雄的指導者として尊敬される存在であった。また多くの国際活動に参加し、UIAの副会長も務めた。Gaetan Siew会長はじめ大勢の役員、友人たちからアリバクリ氏の懐かしい話などが披露された。国際会議での晩餐会として、とても印象的なものであった。

                                                   【GK】

マレーシアに世界から建築家たちが集まった!




2007.07.03

今年は昨年に引き続き、海外出張が非常に多い。北京旅行で体験した中国経済の活気の余韻から覚めて間もなく、今月はマレーシア共和国の大都市クアラルンプールに飛んだ。マレーシア建築家協会が主催する「Design Expo」とUIA (国際建築家連合)主催のUIA ForumほかUIA役員会、アジア建築家評議会役員会などいくつかの会合に出席するためだ。
このような建築家の大会は国際会議を同時主催することが多い。地元の建築家協会が大会のイベント、とくに建築家たちによる講演会やシンポジウムに付加価値をつけ集客増加を狙うからだ。今回はUIA会長、副会長、ARCASIA議長、副議長など世界の建築家を代表するメンツが大会に出席するとなると地元建築家協会関係者の気持ちは高揚する。もちろん、大会の企画、予算は地元もち負担である。僕の推測だが、おそらく2004年、隣国のシンガポールが第一回UIAフォーラムを主催したことに喚起されたのだろう。かつては一つの国であったマレーシアとシンガポールは1967年にシンガポールが共和国を脱退、独立の道を選んだ。それから40年、ライバルとして小国シンガポールが常に優位に立ってきた。建築家協会の場合も良きライバルだ。そして、今回UIAを迎えての晴れ舞台がいよいよやってきた。そんな状況下、11:00発のマレーシア航空に乗った僕は、夕方16:00に黒川紀章氏設計のクワラルンプール国際空港に到着した。同じ飛行機に米国建築家協会のGene Hopkins元会長が乗っていた。デトロイトの建築家でUIA将来政策委員だ。最近では、リスボンで、また、サンアントニオで会っている。このように、世界各国から集まる建築家たちと様々な国、様々な都市で時間を共有できることがとても幸運だと思っている。
Geneとタクシーを共にし、クアラルンプールコンベンションセンターに隣接するTraders Hotelへと向かった。
ホテルに到着すると間もなく33階のスカイプールでVIPウエルカムカクテルが開催された。おしゃれなホテル、まだオープンして半年も経っていないそうだ。
こうして、このような大会、会議が始まる。明日からがたいへんだ。
【GK】

Thursday, June 07, 2007

本物と流行

2007.06.03

最終日は貸切バスで万里の長城に向かった。長城の観光スポットはいくつかあるが、北京からの観光地で一番見所の「八達嶺」を選んだ。この日の企画はゼミ生たちが、考案したもので「長上コミューン」でのリゾート住宅建築の見学を兼ねて、やはり中国の歴史と現代のアジア建築の2本立てで一日を満喫しようと言うものであった。まずは長城コミューンで隈研吾氏、張英和氏時、古谷誠章氏などの作品を外部から見学氏、いくつかのアジア建築家たちの作品を内部も含めて見学した。学生たちには、やはり、隈さんの「Bamboo Wall」」が一番人気があった。今回、僕たちは連日の曇り空のなかで視察を続けてきたが、これは中国の大都市で見かける排気ガスなどによる空気汚染ではないかと思える。万里の長城では、霧とともに写す写真は皆、神秘的な画像となって出てきた。若者のたちに同行したため、思いもよらず険しいほうの「男路」を一番上まで登ってしまった。

無事に下山し、市内に向かった。夕刻の王府台(ワンフーチン)で屋台を視察し、買物を済ませ、明日早朝の出発に備え、ホテルに戻った。
学会の活動と国広ゼミの旅行を兼ねた北京での5日間は、国広研究室の学生たちにとって、どのような影響を与えたのだろうか?学生たちと同行する旅を終えるごとに考えることである。
【GK】