2008.10.19
アジア建築交流国際シンポジウムは、日・中・韓建築学会の国際交流プログラムとして発足したイベントで、1987年に第一回シンポジウムを日本建築学会100周年記念行事として開催された。その後、数年間のブランクがあったが1998年に復活し,その後、2年間隔で開催されている。国際的にはInternational Symposium on the Architectural Interchange in Asia(ISAIA)として知られており、2008年の第7回北京大会では250余りの論文が採択され、多くの発表者で大会は盛り上がった。僕は滋賀県立大学教授の布野修司さんの後任で、日本建築学会よりアジア建築交流委員長としてシンポジウムへ参加するため北京へ向かった。大会は10月15〜17日の3日間の日程で開催されたが、国士舘大学からは南准教教授、原講師と数名の学生が同行した。今回の僕の役目は大会役員会への出席と、基調講演セッションで北京精華大学のZhuang Weimin教授とともにセッションチェアーを務めることだった。
大会初日の夜の交流ディナーは3カ国の研究者、学生のみならずアジア諸国、遠くは欧米などからも参加者が集い、刀削麺カッターの曲芸師、中国古楽器などのエンターテイメントなどの企画を楽しむ盛大な夕食会となった。僕が提案した各学会会長がそれぞれのテーブルを回る「乾杯行脚」でも会場は盛り上がった。
今回の北京大会で目玉となったのは、何と言っても3日目のエクスカーションだった。
8月の北京オリンピックの開・閉会式、陸上競技などの会場となった通称「鳥の巣」と水泳競技場の「ウォーターキューブ」などの内部を見学することが出来たのは建築家としては胸が高鳴る体験だった。実際にどれだけ環境サステナビリティを実現したからは明らかではないが(どうも結論としてはサステナブルではないらしい)、両施設ともデザイン的観点から評価するならば、非常に高い評価を得られるのは当然だと感じた。中国はWTO加盟から5年で確かに世界経済大国への仲間入りを果たしたと思った。僕たちが滞在した市街地だけなのだろうが、10年前に訪問した頃の「灰色」のイメージの北京とは全く違う整備された先進国的なイメージが目に焼き付いた。今後も中国の発展は止められないし、世界各国からの企業などが参入する中国市場には日本も絶対に参加しなければいけないと痛感した。僕自身も積極的に中国の動向に注目し、関わって行きたいと思った。
次回は第8回大会だが、主催は日本建築学会で2010年10月に開催される。帰国後、次回大会に向けて実行委員長とした開催候補地を選定していかなければならない。
アジアとのパイプラインはこのようなイベントをから発生するものだと思う。学生たちも大いに外国の若者たち、とくにアジアの学生たちと積極的に交流して欲しい。
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