Tuesday, February 23, 2010

Aga Khan財団主催の産業遺産シンポジウムに出席 




2009.01.13

イスタンブール滞在2日目。Aga Khan財団主催の産業遺産シンポジウムが始まった。シンポジウムの会場となったのは、トルコ初の私立大学Bilgi大学の新キャンパスで開催された。会場は電力博物館・美術館と再生された産業遺産の建築作品でこれも友人のHan Tummertkin氏の設計によるものである。彼は2004年にアガ・カーン建築賞を受賞しており、2010年には審査委員長を務めることになっている財団とは深い関係を持つ建築家なのだ。シンポジウムの発表者は中東の有力な研究者、大学教授、また、ハーバード大学のMohsen Mostafavi学部長、FOA主宰者のFarshid Moussavi氏、また、僕のハーバー大学院時代の先輩で昔と変わらない美貌をもつFayar Javaherian女史がイランから出席し、同国の建築事情を発表した。シンポジウムのモデレーターはヨルダン出身の重鎮Dr. Mohammad Al-Asad氏で、僕が、Al-Asadさんと同席したのは2回目だが、インテリジェンスが高いレベルの評論を述べてられていた。さて、自分の担当したセッションだが、発表者はイギリスの構造家Hanif Kara氏などで、Farshid氏がチェアーを担当した。肝心の僕の視点は産業遺産研究者というところだが、イスラム系ではない僕のコメントがどう響いたかはFarshid氏の反応をみると大体分かった。どうも僕の立場は浮いていたように感じた。なぜならば、Farshid女史からは僕のコメントに飛び抜けた反応がなかったことだ。時間も押していて、あっさりと終わってしまった。彼女とのやり取りを期待していたのに。

アガ・カーン財団もイスラム圏においてもっと産業遺産の評価、また保存と文化遺産としての保存と再生を訴えかけていくことを目的としたシンポジウムで結果として成功裏に終わったと言えよう。アガ・カーン財団は他にも数々のシンポジウムやフォーラムを世界各地で開催しているが、改めて建築界への貢献のグレードの高さを経験したイベントだった。

イスタンブールから北キプロスへ






2009.01.12

新年明けて早々、19日から一週間、イスタンブールと北キプロス共和国のレフコサへと旅立った。

この旅は、北キプロス共和国建築家協会から招聘され地元で講演を依頼されたことから始まり、途中出版を予定している産業遺産再生ワークショップの報告書について打ち合わせをすることとなっていた。この話を、ある時アガ・カーン財団建築賞事務局長に伝えると、ちょうどその頃、イスタンブールでアガ・カーン財団が主催する「イスラム圏における産業遺産」についての国際シンポジウムが開催されるので招待するから、パネリストをやってくれと誘われたので、承諾した。イスタンブールは5回目の訪問で僕の好きな都市のひとつだが、今回は北キプロスへの訪問を旅のハイライトと思っていた。といっても、世界で唯一都市が壁で分断されている20世紀ホラーの残像を感じさせる街だ。島の向こう半分は世界から認知されたギリシャ側だ。元はひとつの国であったのに、現在はギリシャ側だけがEUに加盟してしまい、残された北キプロス共和国には孤独と悲劇と彼らの希望が交錯するだろう。それを体感するのが目的だ。

羽田を経ち、関空経由でイスタンブールへ到着たのは早朝だった。打ち合わせ先がイスタンブール工科大学はタキシム広場に近いところにある。キャンパスの向かい側にアガ・カーン財団されたパネリストたちの宿舎でインターコンチネンタルホテルがある。ホテルに着くと、何人かのパネリストがロビーでチェックインを待っていた。そこに友人であるインドネシアから出席しているBuddy Sukada氏の姿も見えた。知人仲間にめぐり会えてほっとした。日本にイスラムの正しい理解を、建築を通して紹介していこうを決め、アガ・カーン建築賞を日本に紹介する企画を立てたのが2006年だが、その頃から積極的にイスラム圏の建築家や教鞭を持つ研究者たちと交流してきた。その功もあって、僕のイスラム圏のネットワークは少しずつ広がっている。今回もまた、その輪を広げるいい機会だと思っている。

チェックインに少々時間が掛ったら、ようやく部屋へ入ることができた。部屋からの景色は大学キャンパスを見下ろし、またボスポラス海峡上流も見渡せる絶景だ。

今日の予定はちょっと街歩きをすることだ。イスタンブールが初めての仲間と街へ出る。タキシム広場で早々の議論が勃発したが、収集をつけて再びイスティカル通りをそぞろ歩き。ヨーロッパとアジアの両方の匂いを漂わせるこの町は僕の肌に合っている。

夜はシンポジウムのサポーターである実業家の家で夕食会。この建物のリノベーションを担当したのは、友人でトルコを代表する建築家Han Tummertkin氏だ。建物はイスタンブールのシンボルのひとつであるガラタ塔の真向かいに位置する素晴らしい文化遺産となる建築だ。内部はHanの現代風なデザインとフランス人ランドスケープデザイナーのPatrich Blanc氏が設計した敷地裏手の壁面緑化がすばらしい融合を見せていた。Farrokh Derakhshani事務局長の他、アガ・カーン教祖の二人の子息、皆は「王女」と「王子」と呼ぶ若者たちと会話を交わす機会にも恵まれた。王子はもちろん教祖継承者である。同席だった仲間もこのよう夕食会は初めてだと言って興奮していた。思い出となる晩であった。

Monday, February 22, 2010

日本の国際建築教育システムの認証にむけてロンドンへ




2008.11.8

UIA(国際建築家連合)教育委員会の建築教育認証システムは建築教育の国際水準を保証する為に、各国の教育システム認定機構を審査し、認証する。いよいよ日本のシステム(日本技術者教育認定機構: JABEE)が2008年12月にその審査を受けることとなった。その事前打合せに出席するために早稲田大学の古谷誠章教授とロンドンの英国建築家協会(RIBA)へ向かった。ロンドンは15年ぶりとなる。町の雰囲気もずいぶん変わった。Canary Wharfなどはもうロンドンの一部となり機能している。2012年のオリンピックに向けての建設ラッシュも見られる。ロンドンの町は明るくなったと感じた。ホテルはフィリップ・スタルクがインテリアを手がけたSanderson Hotelを取った。RIBAまで歩いて10分程の距離にある。スタルクは建築家というより、やはり内部建築家と言っていいだろう。「雰囲気」を提供する魔術師だ。
会議は3日間にわたって行われ、日本にての審査についての打合せはRIBAの審査チームとUIAのチームがUIAの名で行う,世界で初めての機構認証となる。その他に世界の教育情報の交換の場となるReflection Groupの会議も行われた。このように建築家の職能資格の互換性や国際教育の同等性など、グローバルな視点で国内情勢を見て行かないと、日本はガラパゴス化の道を歩むはめになってしまうことが、個人的な懸念だ。これからも僕の役目は、日本が如何に国際的でいられるかという方向性に寄与することだと改めて思った。

解放された4日目にはロンドン巡りに出掛けた。Canary Wharf、バッキンガム宮殿、ビッグベン、ロンドンブリッジ、フォスター、ロジャースなどの一連の作品を駆け足で散策してまわった。

またロンドンを訪れたい。