Monday, July 07, 2008

UIA Infopoint国際コンペを審査する

2008.04.25

再びトリノにやってきた。一ヶ月前のコンペ審査の続きだ。
2週間かけ第一段階のネット審査を終え各自50作品を選んでトリノへ戻ってきた。
一日で結果を出さなければならない。地元ではゴールデンウィークのような連休で審査員も今夜から旅行にでるという。審査会場の大会本部もマネージャーだけが出勤している様子でひっそりとしていた。
僕たちは従来のコンペ審査のようにディスカッションを繰り返し、優秀賞、2、3等を選んだ。このコンペはトリノのメインの広場であるマダモ広場に情報キオスクを設計するというテーマで、優秀作品は大会までに実施設計を終え建築として実現することになっている。審査の結果、優秀賞はスペインからの作品に与えることになった。

【GK】

潮干狩り

2008.4.5

今日は釜山市長への表敬訪問の日だ。国際会議などのコンベンション誘致に非常に力を注いでいる釜山だがARCASIAへの対応も積極的だ。今回、釜山市は大韓建築士協会(KIRA)釜山支部へ土地を提供し、KIRAがその一部をARCASIA関連施設として提供するという構想のもとでARCASIA参加国対象の国際コンペを開催するというのだ。

僕たち一行は釜山市庁舎を訪れ市長と面会した。国際組織のメンバーが市長を訪問するのは、地元主催者である韓国の建築家としては、彼らの国際方針の後押しとなるということで歓迎される。今回もそのような雰囲気だった。
表敬訪問、敷地視察などを終え、役員会は解散した。午後は砂浜で簡単な潮干狩りをやった。ビーチを歩いていると何人かの人たちが砂を掘ってアサリをとっている光景を目にしているので、自分もやってみたくなり、素手で砂を掘り始めるとびっくりするほどそこら中にアサリがいるのを発見した。30分ほど掘り続けるとコンビニ袋一杯ななるほどアサリが採れたのだ!日本は優良だし、このような天然な潮干狩りではないし、ちょっとした午後の散歩が楽しい潮干狩りとなり僕はとても満足だった。
さっそくホテルの戻り、アサリをレストランに持っていき、料理をしてもらうようにお願いした.夕食はアサリ料理となる。6時にレストランへ下りていくと、シェフがなんとアサリ料理6品も用意していてくれた。残念ながらアサリの砂を吐かせる時間が十分ではなかった結果、じゃりじゃりとした料理となったが、心のこもったスペシャルな創作料理のセットを頂けたので、僕はとても満足だった。

【GK】

釜山の春






2008.4.4

新学期が始まった。
理工学部理工学科となり2年目の春がきた。中東の砂漠と地中海の山を訪れ、東京に戻ると桜が満開だった。
息をつく間もなく、僕は韓国・釜山へと飛んだ。ソウル、光州市など何回か韓国には訪れているが、南部の第2都市釜山は初めてとなる。僕はアジア建築家評議会(ARCASIA)の役員会へ出席するためにこの地を訪れた。今年の秋に開催されるARCASIA Forum 14を前に韓国出身のYi会長が、施設の視察を兼ね釜山に役員を集めたというわけだ。
釜山は3方を山に囲まれた港町で緑の山々と日本海の青い海とが交わる景観性豊かな都市だ。
数年前にAPEC会議が開催され、またサッカーワールドカップの試合も行われたという
国際都市だ。役員会は海岸を目の前にしたリゾートホテルで行われ、韓国でも有名内建築家で友人のリュウさんが設計したAPECハウス、Bexcoと呼ばれるコンベンションセンターなどの施設を視察した。
夜は焼き肉ディナーではインド、フィリピン、タイ、シンガポールからやってきた役員、また地元主催者たちと大いに盛り上がった。

【GK】

「トリノで若手建築家の国際コンペを審査する」


2008.3.28

UAEでの会議を終了し、イタリア・トリノへと向かった.4回目のトリノだ。UIA世界大会の開催を6月末に控え、35歳以下の若手建築家を対象とした国際コンペが行われ、僕は審査員として招聘されたのだ。他にはケニア、ギリシャ、アメリカ、イタリアからそれぞれ審査員が集まった。通常だとここで審査会開かれるのだが、今回イタリアで開発されたインターネット上での審査方式が取り入れられるということが説明された.今日はその審査形式の説明とルールを共有するために招集されたということが分かった。しかし、実際には審査員各自が自国へもどり600余りの作品をコンピューター上で審査するということは40時間近くかかるという計算になる。これはとてもではないが、我々審査員には受け入れられない。まして、コンペ審査というものは審査員が顔を合わせて、お互いの意見交換しながら、優秀作品を選んでいくものである。時にはお互いを説得して、ディスカッションの流れを変えることもある。ネット上での審査だと、この重要な過程がなくなり、本来のコンペ審査の在り方がまったく変わってしまう。
審査員長として選出された僕は、主催者に抗議をし、1ヶ月後の再び、ここトリノに集まり、審査会を開催するよう要請した。その間、僕たちは、応募案の中から50作品を選び事務局へ提出することを約束した。
今日の集まりはこのような結果で終了した。
          
    【GK】                              

「男女共学、勉学環境は区画?」







2008.3.25

僕が招待された国際都市計画会議はアジマン(Ajman)という首長国で開かれた。AjmanはSharjahの東に位置する小さな首長国だ。UAEというと、アブダビ(Abu Dabi)とドバイDubaiが資源豊かな首長国で世界中が注目している首長国-都市だが、Ajmanは3方をSharjahに囲まれた狭小首長国で油田は皆無と言っていいほど産出されていない。基本的には、Abu Dabi, Dubaiの石油・金融資源によって他の5首長国の経済が成立していると言っていい。したがって、首長国会議の議長、つまり大統領はAbu Dabi の首長であり、首相はDubaiの首長一族からでているという決められた形態でこの国は成り立っている。
Ajman University of Science and TechnologyとAjman都市計画局の共催により企画されたこの会議にはリチャード・マイヤー、ピーター・アイゼンマン、ハンス・ホラインなどの著名建築家も招聘されていた。
僕たち招待者一行はバスでAjman宮殿へRulerと呼ばれる首長への表敬訪問をおこなった。宮殿の応接間は大理石張りの比較的質素な内装で奥行きが極端に長い平面をもつ部屋だった。
到着後数分待機しているとRulerが2階より下りてきて一行を迎えた。とくに会話がある訳でもなかったが、記念写真を撮って表敬訪問はあっという間に終わった。正式訪問が終了しRulerが退席したあと、一行はバスに戻り、会議の会場となる大学へと向かった。
大学に到着して、ちょっとびっくりした。ここは男女別々の教室で勉強するようになっている。大学の出入口、教室群、教員との面談時間帯などはすべて男女別々になっていた。つまり、キャンパス内では男女学生それぞれが顔を合わせることが出来ないのだ!今回の国際会議で初めて一つの部屋に男女が出入りすることができたのだ。会場は左側に女子学生、右側に男子学生、中央に一般聴講客というようにレイアウトされていた。僕は自然の流れで左側に座った。国際会議のテーマは「都市の未来について」で、Ajmanではドバイなどの開発を見ながら自らも開発に乗り出そうという目論みらしい。僕はmAAN活動を中心とした都市再生をテーマに講演した。
さて、講演が終わると、僕の周りに学生が集まり、サインを求められた。彼らにとってこれだけの講師が集まる国際会議にとても興奮している模様だ。僕は、スケッチを描きサインをしてあげると、たちまち噂が広まり、他の発表者が講演している最中でも僕の前には学生の列が絶え間なく並んだ。とくにさまざまな姿をしたイスラム系女子学生に囲まれたが、黒服を着用し目だけしか見せていない学生、頭にスカーフを被った学生からミニスカートの派手やかな姿をした女子学生などイスラム女子学生たちのこの幅広いスタイルにびっくりした。僕にとってイスラム系の学生たちと接触できる楽しい国際会議となった。
その夜はRuler一族が所有する砂漠の別荘で歓迎会が開催された。
砂漠のど真ん中に位置する大邸宅、まるでアリゾナの砂漠にでもいるような現代建築が広い敷地に建っていた。鷹使いが1000万円もする鷹を披露してくれ、ラクダ使いがラクダを披露してくれ、アラブスタイルのマスクを被った女性たちがアラブ風のパン焼き風景をしてくれた。歓迎会はこのモダンスタイルの邸宅のプールサイドで行われた。DJ音楽、センセイショナルな花火ショーなど華やかなエンターテインメントを背景にノンアルコールパーティは無事に閉会した。歓迎会は今日のUAEを物語っていると思った。


【GK】

「ドバイへ」






2008.3.24

大学教員は3月になるとまた一学年の卒業を体験する。今年も大勢の卒業生を建築の世界へ送り出しほっとした。卒業式が終わると、またUIAトリノ世界大会に関連した旅に出た。今回は35歳以下の建築家を対象とした国際コンペの審査だ。2月にメキシコで国際コンペの審査を体験したばかりだが、このようなコンペの審査を仰せつかるのは光栄であるとともにヤリガイのある役目だ。この旅では、もう一つの目的があった。アラブ首長国連邦の首長国のひとつであるアジマンから招聘され国際都市計画会議に招聘されたのだ。ここでは、スピーカーとして講演を依頼された。ここ数年パキスタン、マレーシアなどのイスラム国家にて国際会議に招聘され講演を行ってきたが、いま旬であるUAEを訪問することができるので、気持ちが高揚した。
羽田より、関空経由でエミレーツ航空にてドバイに到着したのは早朝5時であった。
砂漠の国UAE.空港は近代的であり、またこの国の首長は1960年代後半よりこの空港を世界主要ハブ空港となるように育ててきた。雰囲気はアラブ・イスラム圏だが、働く人たち、行き交う利用者たちはまさにグローバルな人々たちばかりだ。ボクの滞在するホテルはドバイ首長国のとなりのシャルジャ(Sharjah)にある5つ星ホテルだ。人工湖とその周りに立ち並ぶ近代的な高層ビルを見渡すホテルだ。まさに砂漠のオアシス。その向こうにはアラビア海が開けている。
実はまだ講演会のパワーポイントの準備ができていない。この日は一日講演の準備に明け暮れた。


【GK】