Tuesday, February 23, 2010

イスタンブールから北キプロスへ






2009.01.12

新年明けて早々、19日から一週間、イスタンブールと北キプロス共和国のレフコサへと旅立った。

この旅は、北キプロス共和国建築家協会から招聘され地元で講演を依頼されたことから始まり、途中出版を予定している産業遺産再生ワークショップの報告書について打ち合わせをすることとなっていた。この話を、ある時アガ・カーン財団建築賞事務局長に伝えると、ちょうどその頃、イスタンブールでアガ・カーン財団が主催する「イスラム圏における産業遺産」についての国際シンポジウムが開催されるので招待するから、パネリストをやってくれと誘われたので、承諾した。イスタンブールは5回目の訪問で僕の好きな都市のひとつだが、今回は北キプロスへの訪問を旅のハイライトと思っていた。といっても、世界で唯一都市が壁で分断されている20世紀ホラーの残像を感じさせる街だ。島の向こう半分は世界から認知されたギリシャ側だ。元はひとつの国であったのに、現在はギリシャ側だけがEUに加盟してしまい、残された北キプロス共和国には孤独と悲劇と彼らの希望が交錯するだろう。それを体感するのが目的だ。

羽田を経ち、関空経由でイスタンブールへ到着たのは早朝だった。打ち合わせ先がイスタンブール工科大学はタキシム広場に近いところにある。キャンパスの向かい側にアガ・カーン財団されたパネリストたちの宿舎でインターコンチネンタルホテルがある。ホテルに着くと、何人かのパネリストがロビーでチェックインを待っていた。そこに友人であるインドネシアから出席しているBuddy Sukada氏の姿も見えた。知人仲間にめぐり会えてほっとした。日本にイスラムの正しい理解を、建築を通して紹介していこうを決め、アガ・カーン建築賞を日本に紹介する企画を立てたのが2006年だが、その頃から積極的にイスラム圏の建築家や教鞭を持つ研究者たちと交流してきた。その功もあって、僕のイスラム圏のネットワークは少しずつ広がっている。今回もまた、その輪を広げるいい機会だと思っている。

チェックインに少々時間が掛ったら、ようやく部屋へ入ることができた。部屋からの景色は大学キャンパスを見下ろし、またボスポラス海峡上流も見渡せる絶景だ。

今日の予定はちょっと街歩きをすることだ。イスタンブールが初めての仲間と街へ出る。タキシム広場で早々の議論が勃発したが、収集をつけて再びイスティカル通りをそぞろ歩き。ヨーロッパとアジアの両方の匂いを漂わせるこの町は僕の肌に合っている。

夜はシンポジウムのサポーターである実業家の家で夕食会。この建物のリノベーションを担当したのは、友人でトルコを代表する建築家Han Tummertkin氏だ。建物はイスタンブールのシンボルのひとつであるガラタ塔の真向かいに位置する素晴らしい文化遺産となる建築だ。内部はHanの現代風なデザインとフランス人ランドスケープデザイナーのPatrich Blanc氏が設計した敷地裏手の壁面緑化がすばらしい融合を見せていた。Farrokh Derakhshani事務局長の他、アガ・カーン教祖の二人の子息、皆は「王女」と「王子」と呼ぶ若者たちと会話を交わす機会にも恵まれた。王子はもちろん教祖継承者である。同席だった仲間もこのよう夕食会は初めてだと言って興奮していた。思い出となる晩であった。

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