Thursday, November 01, 2007

セブマンゴの原産地に行く




2007.10.26

今回の海外出張はフィリピンのセブ島だ。ここ数年マイブームはセブマンゴだが、原産地へ建築の講演で行くとは夢にも思っていなかった。日本人にとって、セブ島はリゾート地のイメージがある。しかし、実際はフィリピン3地域である中央地域最大の主要都市なのだ。
今回は第16回フィリピン建築家協(UAP)全国会議の講演者としてUAPより招聘された。話によると、今回の全国会議を開催するにあたって、会員対象のアンケートを実施したさい、過去に聴講した講師の最も多くアンコールをもらったのが小生だったとか...誠に光栄でした。この会議は週末に開催されたが、フィリピンでは日本で言うところのお盆の時期で、飛行機が満席だったり発着が遅れたり、空港はパニック状態だ。僕のフライトも5時間以上トランジットして、セブ空港に到着すると迎えが来ていなかった。じつはホテル名も知らされていなく、途方にくれるところだったが、空港にあるホテルブースで聞いたところ、僕の予約があった!ということで無事にホテルにチェックインすることが出来た。

                                                         【GK】

空港から大学へ直行



2007.10.15

成田空港に到着したのは7時45分。通関後、リムジンバスに乗り、新宿へ向かった。新宿到着が9時30分。そこから、車で大学へ直行。実は国士舘大学ではAO入試が行われる日だ。
学系主任として、学系の入試を責任もって運営する立場から、他の教員に迷惑をおかけしているからこそ、遅れないように試験場に到着した。先輩の先生方、H,M両教授が今回の入試の運営を快く受け持って頂いていた。僕はたいへん恐縮した。AO入試は無事に終わり、僕のヨーロッパ出張は完了した。僕はいつも思う。自分はハツカネズミに生まれているはずだったのではと...

                                                           【GK】

トリノ出発



2007.10.14

トリノ出発だ。次にこの地を訪れるのは、世界大会開催の時だろう。2008年6月が楽しみだ。
さて、飛行機に乗って、フランクフルト経由で成田空港に向かう時間だ。

Wednesday, October 31, 2007

2008年UIA世界大会とフィアット王国トリノのために...


2007.10.13

第3回目の2008年UIA世界大会国際学術委員会が開かれた。今回は大会本部となる新オフィスの事務開きとなる会議だ。今回の委員会のメンバーと共に提案してきた大会プログラムの内容がほぼ固まり、午前中はイタリア大会実行委員会からの報告を受けた。僕がアメリカ代表委員でエジプト人のTarek Naga氏からの後押しもあって提案したトルコ人作家でノーベル文学賞受賞者のオーハン・パミュック氏が基調講演を前向きに考えていることが伝えられた。アジアとヨーロッパの架け橋であるトルコ出身で国際的な人物の出席は多いに盛り上がることだろう。午後には、地元、トリノが企画する様々なプログラムのプレゼンテーションが行われた。なかでトリノの若手建築家たちが提案するYoung Architects Forumは彼らの世界トコミュニケーションを図ろうとする意気込みを感じた。やはり若者パワーは世界どこでも新鮮で気持ちがいい。こうしてあっという間に一日が終わり、僕たちは大会会場に予定されている「リンゴット」と呼ばれるフィアット工場跡に向かった。会場の視察だ。ここは、現在では再開発によってコンベンションセンターとなっており、屋上には、レンゾ・ピアノ設計のヘリポートが、フィアット社の伝説的テスト・サーキット上に王冠に飾られる巨大な宝石のようにその存在を誇張していた。でも、ぼくはサーキットに上り、夕日を見ながら同僚委員のJoseph Rykwertの記念撮影をしたり、チンコチェントの名で親しまれたフィアットの小型自家用車Fiat500型復活版のディスプレー展示を楽しんでいた。
夜は東京−トリノ文化プログラムを一緒に企画しているトリノの建築文化組織の創設者ロレーナとその仲間たちとの夕食会に参加した。9人の建築家たち、なかにはトリノ在住で元磯崎アトリエのプロジェクトに参加していたShinobuさんもいて、和やかな雰囲気でピエモンテ料理を満喫した。このような建築家の仲間たちが世界中どこにでもいることは、37年間建築の世界にいる僕にとって、これからのグローバル・アーキテクト・コミュニティが密接なネットワーキングを通してより親密な関係を築いていけることの証となった宴だった。

                                                         【GK】

Sunday, October 28, 2007

イタリア王家サヴォイ家の王子に遭遇する!




2007.10.12

トリノに到着し、12日はトリノ商工会議所の招待により会頭を表敬訪問しました。会議所は18世紀に建てられた市街地の大邸宅をオフィス使用していました。まるで映画に出てくるようなバロック様式の邸宅で、天井高は4メートルほどあるのではないでしょうか?会頭は小柄な紳士で確かフィアット関連の会長などを歴任された方だとおっしゃっていました。また、トリノは名古屋市と姉妹都市だということで、UIA2011年東京大会成功のために名古屋市長に応援を頼んでくださると意気込んでおられました。つぎはトリノ工科大学の付属研究所である「SITI」という都市計画研究所のコルシコ教授を訪問しました。教授は現在、トリノ市副市長をも務められていて、トリノの工業都市からデザイン都市への変遷に深く関わられておられるようです。コルシカ教授は駐日イタリア公使夫人のローラ・コルシコ・アマティさんのお父様です。来年のトリノ世界大会で、日本代表団へ無償でSITIオフィスを貸してくださるという素晴らしいオファーを出されました。これは2011年東京大会実行委員会(JOB)へ報告できるうれしいニュースです。JOB関連の訪問を終え、トリノ大会の企画である「Flows」という、ポー河の畔に並ぶボートクラブのクラブハウスを利用して、世界各国のパビリオンとするプロジェクトの現場に案内されました。僕が訪ねた歴史あるクラブハウスは河川敷に出現する夜の屋台飲屋街の真正面で市中心部から徒歩5分ほどの対岸にありました。
これも日本館として利用することが可能だそうです。さて、夕方の宮殿のオープンハウス(パレス!!)に行く準備のためホテルに戻りました。
夕方はバスで宮殿に向かいました。宮殿は静かな郊外の街にありました。到着するともうすでに宮殿前の広場では観光大臣のスピーチが行われていて、数千人のVIPゲストが集まっていました。しばらくして、イタリアを支配していたサボイ家の王子も来られているということが知らされました。王子は、国外追放されてから50年以上ぶりに、初めて国内へ公式に招待され、旧自邸(別荘だが)を訪問したのです。僕はミーハー的に王子を発見し、写真を撮ることに成功しました。今夜はヨーロッパ上流階級の世界をちょっと覗いたひとときでした。


                                                          【GK】

Friday, October 12, 2007

アルプス上空で



2007.10.11

さて、現在イタリアに向けての機内にいます。ちょうどアルプスの上空を飛んでいるところです。
3度目のトリノ訪問です。今回も2008年6月に開催されるUIA トリノ世界大会の国際学術委員会に出席するためにやってきました。もうメンバーとは顔見知りになり和気あいあいと2日間を過ごすことになります。今回の訪問は委員会のほか、今年から2011年に開催される東京世界大会まで継続的に進めていく「トリノ-東京建築文化プログラム」の打合せや、来年来日を計画しているトリノ商工会議所の会頭との面談なども兼ねています。
また、先週イタリア大使館でお目にかかったイタリア公使夫人の父上で建築家のCorsica教授との面談も予定されています。
そして、12日の夜はイタリアの王家であったサヴォイ家の宮殿の長期にわたる補修工事が終わり一般公開される記念レセプションがあるそうです。委員たちはこの宴に招待されています。楽しみです。

                                          
                                                         【GK】

スリランカではアジアの建築家たちが集まった




2007.10.11

最近、頻繁に出かける海外出張で出席する国際会議での僕の役目をお話します。時には日本を、時にはアジアを代表して会議に出席していますが、いつも心がけていることは、日本やアジアの建築界の諸問題をグローバルな視点をもって伝えることです。そして、諸外国の意見を聞き、その場で発信される情報を収集、解釈、分析し、アジア、日本の建築界が理解できる情報を持ち帰り正確に伝えることが自分に与えられたミッションだと自負しています。

明日からヨーロッパですが、その前に書き残していた9月の旅のまとめを書きます。

9月にはクアラルンプールで開かれたアガカーン賞授与祝賀式典に行ってきましたが、その後、ARCASIA Forum 14(9月15日〜20日)にも参加しました。
2日間のアジア建築家評議会 (ARCASIA) 理事会では韓国のK.C. Yi会長のもとでマレーシアのTan Pei Ingさん、バングラデッシュのMubasshar Hussein氏とともに副議長を務めました。とくに大きな問題はありませんでしたが、今後ARCASIAをアジア地域において建築家協会の連合組織として国際的にどのような位置づけをもつかを議論し、特に国際建築家連合(UIA)との関係などを念頭において地域の範囲を定義しました。変動するアジアに対して十分に有効な組織で有り続けることを目的として一丸となって活動していかなければならないと感じました。もちろん、各国の国内事情がありますが、グローバルな時代のなかで国内事情に内向的な視野から取り組んでいくのではなく、外向的なスタンスで解決していくのが必至だといつも思って活動しています。

2007年のARCASIA Forumはアメリカ建築家協会よりゴールドメダルを授与されたニューメキシコの建築家アントアン•プレドック氏を基調講演者として迎え、1時間余り50年にわたる建築家としてのキャリアを語って頂きました。スライドを交えた講演では、氏の力強い初期の作品から、近年の奇想天外、創造的な建築までを「思想家・夢想家」的なノリで近作などを紹介されました。そのほか、最近、国際舞台で人気上昇中の若手建築家たちも登場しました。日本からは手塚貴晴さん、韓国からはCho Minsukさん、タイからはDuangrit Bunnagさんが発表し、同時にシンガポールからは環境建築家の大御所Tay Kheng Sungさんが講演者として参加されました。僕もChoさん、Duangritさんのセッションのモデェレーターを務めました。
このような会議に参加していつも思うのですが、地元の建築家、学生たちにとっては貴重な体験であり、「伝える」ということの重要性を改めて認識しました。また、地元のホスピタリティは素晴らしく、担当者たちはとても親切で一生懸命になって僕たちに対応してくれました。もちろん、僕も様々なイベントや会議の開催に関わっていますが、同じような心こもったホスピタリティを提供していきたいと思っています。
ARCASIAの会合では、毎年、最後の夜の「フレンドシップナイト」がフィナーレとなります。この夜は、17カ国からなるARCASIAメンバー国の代表が自前のパフォーマンスを披露します。日本は浴衣、着物、じんべえ姿で「神田川」を歌いました。
仙田会長夫妻、古谷誠章一家、太田隆信夫妻などを含む日本チームは、みごと二等賞を獲得しました。ちなみに選曲は国広が担当し、衣装は仙田会長夫人が担当されました。来年のARCASIA ACAは韓国、釜山で開催されます。

                                                         【GK】

Monday, September 03, 2007

第10回アガカーン賞発表・授与式典に出席する


2007.09.04

2007年の夏、マレーシアを3往復することになった。毎月ここクアラルンプールに来ているが、今回の旅は特別な理由がある。
第10回目のサイクルとなるアガ・カーン財団主催である栄誉ある「アガ・カーン建築賞」の発表・授与式に招待されたからだ。アガ・カーン氏はパキスタンを中心として広く信仰されているイスラム教宗派の教祖が設立した国際社会福祉事業財団だ。イスラムの精神(これは普遍的な精神であると考えている)に基づく建築(公共の建物で社会性を持つもの、貧困社会のための開発プロジェクトなどはほんの一例だが)に与えられる賞で審査員は著名な建築家や学識者が3年ごとに招集され、世界各国からノミネートされた300件近い候補作品を1年以上かけて審査し、10件程が最終的に受賞作品として選ばれる。昨夜開かれたアガ・カーン氏主催の晩餐会ではカーン氏と子息たち(princeとprincess) がゲスト一人一人と握手を交わし挨拶をされていた。僕も建築賞ディレクターのFarrokh氏に紹介され、現在構想中のプロジェクトの話を伝えることが出来た。
残念ながら日本ではまだこのアガ・カーン賞とアガ・カーン財団の実績を知らない。プリッツカー賞ばかりに目が行ってしまって、本質を探求するこの賞の価値に気づいていない。この一年、何とかしなくてはなりないと思い行動を開始した。
写真のペトロナスタワーも且つてアガ・カーン賞を受賞したアメリカに事務所を構えるアルゼンチン人建築家シーザーペリの作品だ。
建築家を目指す若者たちへ:建築を通して社会に貢献することを忘れてはならない!

                                                         【GK】


          

Friday, August 31, 2007

福岡大学の日本建築学会大会に参加する



2007.08.31

2007は年度日本建築学会は福岡大学で開催された。今年、国広研究室からは5本の研究発表を行った。国広研が大会で研究報告を始めたのは昨年からだ。昨年は佐藤誠君、近藤雅哉君、中鉢裕行君の六本木ヒルズについて、そして三村豊君のインドネシア・メダンにおける鉄道官舎建築の増築と変遷についての発表の2本だった。今回は9名のM1が、また3月に修士課程を修了した坂本徹君がバングラデッシュのオールド・ダッカ地区の研究を発表した。それぞれ無事に発表し終え、夏休みの建築への旅に出かけていった。僕は、JABEE(日本技術者教育認定機構)のパネルディスカッションで司会を務めた。今回は2年連続のPD参加であったが、UIAバリデーションの認定を目指して大学院JABEEを来年にスタートし、学部4年+大学院2年のシステムを立ち上げる中、JABEE認定校増強に力を入れなければならない事情があるからだ。最近、日本は国際政治、経済の土俵でも、また、こういう建築界の国際的な場面でもどうも内向的であり、実際には孤立してしまうのではないかと気がきではない。ほんとうはもっと自分の身の回りの研究や設計活動に力を入れなければならないのだか、いつしか国際的視野にたった活動に走ってしまう今日この頃なのだ。
建築巡りが限られた時間で行った。28日の午後福岡入りし、福岡アクロスで開催された「21世紀アジアの環境建築を創造する」というシンポジウムを聴講した。アジアからは中国の張英和氏と韓国のCho Minsuk氏が参加していた。張さんは5月にテキサスであったとき以来、Choさんは7月にクアラルンプールで会ったばかりだ。二人ともアジアを代表する若手建築家たちだ。会場となったアクロスは環境建築の成功例ともいえる自然と建築の融合だ。結構感激した。また、大会最終日の午後、大会に参加していたシーラカンスの工藤和美さんが何人かの仲間を会場近くに最近完成したさつき幼稚園を案内してくれたのに参加した。木造、RCの幼稚園は博多湾を眺望する豊かな敷地に建っていた。子供スケール、先生の管理体制を重視した広々とした暖かみが感じられる空間。まだ新しい木構造が美しかった。ポニーやウサギくんたちと遊べる園児たちがうらやましい。そういえば、この間、大学で同僚の南康裕さんが設計した西麻布のレストランを当事務所の谷田君に案内してもらったときに、近所に僕が半世紀前に通ったみこころ幼稚園に遭遇した。それは言葉に表せない感動の一瞬だった。


【GK】

Tuesday, August 28, 2007

香港ではシンポジウムと広東料理...飲茶も!




2007.08.10

マレーシアでの会議が終わり、香港へと向かった。香港を訪問するのは4年ぶりになるのではないか?前回は安藤忠雄さんと国際デザインシンポジウムに出席した。今回は8月6日から9日までの滞在だった。香港中文大学(CUHK)で行われる「アジアの文化的公共圏」をテーマとしたシンポジウムにパネリストとして出席するためだ。CUHKは雑然とした香港の中心部から電車で30分ほど行った緑の丘の中腹に建っていた。生憎、雨だったが僕たちはシンポジウムに集中し、無事に発表と討論を終えることが出来た。久しぶりの香港だったので、真夏の炎天下の中、町を歩き、香港的都市空間の写真を撮りまくった。通りにキャンテレバーで突起する巨大な看板群。高層集合住宅ラッシュの風景。香港とカウルーンを結ぶフェリーとハーバー風景。香港サイドのピークの眺望。どれを見てもとってもやっぱり香港は魅力的だ。また、植民地建築と現代建築が共生し、町並みを豊かにしているのにも目が引かれる。僕たちは滞在中、飲茶2回、そして日本では味わえない香港料理を毎晩満喫した。
帰国して、また、香港へ行きたくなった。

                                                           【GK】

Saturday, August 04, 2007

国際アジア学者会議2007に出席!



2007.08.03

また、クアラルンプールにやってきた。81日から9日まで、ここマレーシアと香港で学術会議とシンポジウムに参加するための海外遠征を行っている。今回はInternational Conference of Asian Scholars (ICAS)という国際アジア学者会議に出席するためだ。会場は先月と同じクアラルンプールコンベンションセンターということもあり、慣れた環境だ。会議では、国士舘大学アジア日本研究センターの一員として、「アジアにおける文化的公共圏の可能性」というテーマで4人のパネリストの一人として論文を発表した。21世紀アジア学部の土佐昌樹、青柳寛、佐藤研一氏らとそれぞれの論文を発表し、カナダのNova ScotiaにあるSt. Mary’s UniversityZoreh Bayatrizi氏がコーディネーターとしてセッションをまとめた。僕の論文は、自分が2001年から関わってきたアジア近代建築ネットワーク(modern Asian Architecture Network)のアジアにおける20世紀近代都市遺産の保存、再生活動がドイツの文化人類学者ユーゲン・ハーバーマスの論じた「公共圏」の一例であることを述べたものだ。こうして、他分野の研究者たちと一緒に自分の興味がある「アジア」という視点から研究を行うことはとても有意義でフレッシュな気分になる。他にも梶原景昭、樋田満氏を含めたパネルでは、アジアのsocial dreamingをテーマに政治と社会についてのセッションが開かれ、アジア研究における国士舘大学の存在感 が大きく現れていた。国士舘大学にはこうして真剣に大学を代表して国際的に研究成果を発表していくセンターがあることを誇りに思う。大学もどんどんこの国際的なセンターを支援していってもらいたいと願っている。
【GK】

Saturday, July 14, 2007

UIA, ARCASIA会議が同時にスタート!




会議スタート!

2007.07.04

今朝はゆっくりと始まった。朝食は5階のレストランでとった。定番の朝食のビュッフェだけではなく、朝から寿司やラーメンなども準備されていた。集まったアジアのVIPたちと共に朝食をとり、午前中は、部屋で会議前の準備をした。昼からの会議はARCASIA Professional Practice委員会、つまり、建築業務についてアジア各国が情報交換、また、越境業務などについて話あう委員会だ。今回の出張には日本からは僕だけが出席していないので、時間があれば、全会議に出席してほしいとの日本建築家協会からの要請があったからだ。会議は一時間で終わり、引き続き、UIAの役員会に出席した。役員会にはホスト地区の理事が出席することになっていて、ここでも、岩村和夫第4地区理事に変わって副理事として日本からこの委員会に出席することになった。
第一日目の会議が無事に終わり、夕食はペトロナスタワー42階にあるメンバーズクラブが会場だ。今夜は、昨年ゴルフのプレー中に逝去されたヒシャム・アルバクリ前UIA副会長を偲ぶ会として企画された。アルバクリ氏はマレーシア独立とともに建築家協会設立に貢献し、英雄的指導者として尊敬される存在であった。また多くの国際活動に参加し、UIAの副会長も務めた。Gaetan Siew会長はじめ大勢の役員、友人たちからアリバクリ氏の懐かしい話などが披露された。国際会議での晩餐会として、とても印象的なものであった。

                                                   【GK】

マレーシアに世界から建築家たちが集まった!




2007.07.03

今年は昨年に引き続き、海外出張が非常に多い。北京旅行で体験した中国経済の活気の余韻から覚めて間もなく、今月はマレーシア共和国の大都市クアラルンプールに飛んだ。マレーシア建築家協会が主催する「Design Expo」とUIA (国際建築家連合)主催のUIA ForumほかUIA役員会、アジア建築家評議会役員会などいくつかの会合に出席するためだ。
このような建築家の大会は国際会議を同時主催することが多い。地元の建築家協会が大会のイベント、とくに建築家たちによる講演会やシンポジウムに付加価値をつけ集客増加を狙うからだ。今回はUIA会長、副会長、ARCASIA議長、副議長など世界の建築家を代表するメンツが大会に出席するとなると地元建築家協会関係者の気持ちは高揚する。もちろん、大会の企画、予算は地元もち負担である。僕の推測だが、おそらく2004年、隣国のシンガポールが第一回UIAフォーラムを主催したことに喚起されたのだろう。かつては一つの国であったマレーシアとシンガポールは1967年にシンガポールが共和国を脱退、独立の道を選んだ。それから40年、ライバルとして小国シンガポールが常に優位に立ってきた。建築家協会の場合も良きライバルだ。そして、今回UIAを迎えての晴れ舞台がいよいよやってきた。そんな状況下、11:00発のマレーシア航空に乗った僕は、夕方16:00に黒川紀章氏設計のクワラルンプール国際空港に到着した。同じ飛行機に米国建築家協会のGene Hopkins元会長が乗っていた。デトロイトの建築家でUIA将来政策委員だ。最近では、リスボンで、また、サンアントニオで会っている。このように、世界各国から集まる建築家たちと様々な国、様々な都市で時間を共有できることがとても幸運だと思っている。
Geneとタクシーを共にし、クアラルンプールコンベンションセンターに隣接するTraders Hotelへと向かった。
ホテルに到着すると間もなく33階のスカイプールでVIPウエルカムカクテルが開催された。おしゃれなホテル、まだオープンして半年も経っていないそうだ。
こうして、このような大会、会議が始まる。明日からがたいへんだ。
【GK】

Thursday, June 07, 2007

本物と流行

2007.06.03

最終日は貸切バスで万里の長城に向かった。長城の観光スポットはいくつかあるが、北京からの観光地で一番見所の「八達嶺」を選んだ。この日の企画はゼミ生たちが、考案したもので「長上コミューン」でのリゾート住宅建築の見学を兼ねて、やはり中国の歴史と現代のアジア建築の2本立てで一日を満喫しようと言うものであった。まずは長城コミューンで隈研吾氏、張英和氏時、古谷誠章氏などの作品を外部から見学氏、いくつかのアジア建築家たちの作品を内部も含めて見学した。学生たちには、やはり、隈さんの「Bamboo Wall」」が一番人気があった。今回、僕たちは連日の曇り空のなかで視察を続けてきたが、これは中国の大都市で見かける排気ガスなどによる空気汚染ではないかと思える。万里の長城では、霧とともに写す写真は皆、神秘的な画像となって出てきた。若者のたちに同行したため、思いもよらず険しいほうの「男路」を一番上まで登ってしまった。

無事に下山し、市内に向かった。夕刻の王府台(ワンフーチン)で屋台を視察し、買物を済ませ、明日早朝の出発に備え、ホテルに戻った。
学会の活動と国広ゼミの旅行を兼ねた北京での5日間は、国広研究室の学生たちにとって、どのような影響を与えたのだろうか?学生たちと同行する旅を終えるごとに考えることである。
【GK】

北京のOld and New建築を求めて







2007.06.02

今日はバスに乗り、オリンピック競技場、798工場などをはじめとして、市内の現代建築を見学した。生憎、北京は曇り空でいい写真が取れない残念な一日となったが、10月に訪れたオリンピック競技場の工事は着実に進んでいて、今回は向かいのオフィスビルから全体の写真を撮ることが出来た。これらのスポーツ施設の完成が待ち遠しい。798工場は3年ぶりとなるが、益々、上海と並んで北京でのアートビジネスは凄まじい。現代アート、映画などの芸術表現は国家の爆発的な経済成長と共に芸術としての品格も急上昇であることが確認できる。特に中国文化の伝統と現代アートとの「普遍的」融合は、世界のアートワールドにすでに影響を与えている。また、798のギャラリーには日本や韓国のアーティスト等の作品も見られた。アジアのアートシーンをここから発信することになるのか?
前衛的な空間から、城内の胡同(フートン)へと向かった。インテリアの仕事で1997年に北京に来たときには、まだまだ多くの胡同が当たり前のように残っていて、路上には市場が栄えていたが、今は保護地区となり、観光的要素が入り混じる場所となってしまった。しかし、学生にとって新しい北京と伝統的な町並みを同時に見て歩くのは刺激的であった思う。
夜は、学会グループから解散し、国士舘大学国広研究室の夕食会と銘打って、北京ダックディナーを開催した。ダック6羽を学生たちと平らげ、他にも数え切れないほどの品々を注文し、北京の夜の宴とした。
【GK】

北京は今世界の中心か?




2007.06.01

この季節の北京は日中30度近い気温で上着はいらない。生憎、天気は曇り空だったが、朝は国広ゼミ・研究室での行動として天安門広場と故宮、そして天壇の見学を計画した。午後は16:00から北京大学で呂教授の研究室による胡同の保護・再生に関しての取り組みと 慶応大学準教授で中国在住の建築家松原弘典氏の講義を聴講した。
ゼミ生たちにとって、中国は別世界のように感じているらしい。その他の学生たちは、タイ、中国、ヨーロッパなどを体験しているので北京という中国の中心都市を感じることは容易のようである。近代中国発展の象徴となる2008年オリンピックの建設ラッシュをタクシーの車窓から眺めながら、城内へと向かった。天安門広場に到着し、全員が集まったところで簡単な説明と中国近代史のあらましを説明し、天安門広場の大都市空間、周囲の建築などを体感しながら、故宮へと進んだ。故宮は彼らにベルトルッチ監督映画「ラストエンペラー」を観るようにと勧めたのでゼミ生も内部空間に対する想像はできていたようだ。正面の門を入って自由行動として解散した。彼ら、一人一人が紫禁城でどのような体験をしたかは今季のゼミ報告書を読むのが待ち遠しい。
僕は、中国建築学会へと向かった。ここでは研究集会の一環として周暢先生による「現代中国建築」についての講義が行われた。張百平事務局長も同席し、韓国で開催されたISAIA Daegu大会以来の再会だった。講義は超える現代建築のスライド情報で、集会参加者にとっては中国事情が理解できる情報であった。
建築学会訪問の後、我々は北京大学へと向かった。
北京大学でも、呂先生の代行として、研究生が胡同について発表し、引き続き松原さんの講義も北京における現代建築を建築計画的観点からの解説された親切な講義だった。毎週日本と中国を往復しながら、設計活動を続ける彼のエネルギーは大変なものだと思い、敬意を評した。
夜は近所のレストランで恒例の懇親会が行われた。90人余りの参加者で盛り上がった会は布野先生の勧めで、多数の乾杯スピーチが行われた。最後に僕が中締めを行い、夕食会は無事に閉会した。
【GK】

JIA副会長の役目を終えて…北京へ

2007.5.31

毎年、5月31日には日本建築家協会(JIA)の総会が開催される。「総会」とは団体の会員全員に対しての一年間の活動報告、会計報告、そして新年度に向けての計画報告と予算案提示などの承認を得る会である。総会では、それらの次第について一般会員からの意見と議論をもとに、各次第に関して承認を得る重要な会合である。2006年度には仙田満会長よりの要請で国際担当副会長の役職を仰せつかった。2006年度は国内では構造計算偽装事件を皮切りに、建築家に影響を与える様々な事件が発覚し、JIAは建設業界と共に国土交通省に対して建築士法改正議論に積極的に参加し、国際基準である統括設計者としての建築家職能の確立に向けて活動を続けてきた。一方、2005年にUIA(国際建築家連合)イスタンブール世界大会にて誘致した2011年東京大会に向けて、小倉善明日本実行委員会(JOB)委員長のもと、芦原太郎、横河健、古谷誠章、横山禎徳、そして小生がそれぞれ、財務、運営、学術、フォーラムジャパン、広報、各部会の部会長として、大会にむけて多数の委員たちと共に計画を進めている。2011年東京大会には世界110カ国余りから1万人の建築家と一般市民たちの参加が予想される建築家の祭典だ。JIAは、この機会に日本のみならず、21世紀の国際社会に向け21世紀の建築家と環境をテーマに社会運動を展開する予定だ。
国際担当として、もう少し日本の建築家たちが国際的視野にたって国内の情勢や自己の建築家としての職能を考えて頂きたいといつも思っている。IT時代では、日本はもう「島国」ではないのだ。それを日本の建築家たちはまだまだ理解していない。

今日は北京に旅立つ日でもある。
毎年、国広ゼミではアジア都市への海外視察旅行を実施している。例年に比べ、今年の旅行を早めの春期中に実施することになったのは、日本建築学会計画委員会春季研究集会という一見格式張った勉強会が北京で行われるのに便乗しようと考えたからだ。この研究集会は、滋賀県立大学教授の布野修司委員長が去年から「国内旅行よりアジアの方が最近は経済的だから」という理由で研究集会を海外で行うようになった。第一回目の韓国集会に布野さんから誘いがかかり、出席したことから、学生にとって海外の大学環境の中で、日本の他大学の学生たちと交流しながら国際的な体験をすることに意義を感じ、国広ゼミ生に、是非、この体験を共有してもらいたいと思った。4泊5日のゼミ旅行は、4年生、M1、M2も参加し27名の国士舘大学生が参加し、我が大学の存在感をアピールすることとなった。今日は成田空港に16:00集合、18:20のノースウェスト航空12便で北京国際空港に向かった。そして、曇り空、摂氏20度の北京に到着したのは、21:30。留学生で国広研究室在籍4年目のM2院生何承儒君の手配により、同じ留学生であった友人でガイドの喬亮さんがバスで送迎してくれ、宿泊場所である北京大学周辺のホテルの向かった。学生は経済的なホテルで一泊1,000円程度、僕はアジアで最大のホテル「Friendship Hotel」に宿泊することになった。

【GK】

Saturday, May 26, 2007

Golden Week Around The World Part 8


2007.5.5

今日は大会最終日だ。結局12時間爆睡して4時に目が覚めた。久しぶりにまとめて睡眠をとったので気持ちがいい。しばらくDavid Suzuki氏の著書を読んでから、朝食に降りる。
会長一行とともに朝食を済ませ、安井設計の佐野さんが企画した日本市場参入ガイドともいうべきセミナーに応援団の一員として、佐野さんを紹介し聴講する。セッションは佐野さんの詭弁な講演で盛り上がった。英語でのコミュニケーションも十分であったし、内容もアメリカ建築家が理解できるよう的確にオーガナイズされていた。
セッションが無事に成功に終わり、次は向いの会議室で行われたInternational Presidents’ Forumにオブザーバーとして参加した。主に環境問題、offshore外注の2点について参加各団体からの報告と意見交換が行われた。このフォーラムは3年目を迎えるらしいが毎年会は充実してきている様子で、国際関連の会議、行事をみてもAIAの国際戦略が垣間見える。午後の目玉となるのがアル・ゴア元副大統領の講演会だ。開催2時間前から列に並び、開場を待つ。その間、30年ぶりにカリフォルニア大学バークレー校時代の同級生とばったりと出会う。僕の後ろに並んでいた男性とその夫人の二人だ。大学時代に付き合い始めて、その後、結婚したのが27年前だそうだ。彼らの事務所を夫人はアメリカ建築界では名のある存在なので噂は聞いていたが、実際に再会できて懐かしかった。二人とも昔のままだ。やはりアジア人は長持ちするのが本当のようだ。
ゴア氏の講演会も刺激的であった。お笑いのように自分の大統領選敗北とその後の一般人としての格差を感じさせる生活を語って観客を巻き込む話術は絶妙だ。本題に入ってもステージを何度も横断し、2時間にわたって地球環境の危機について建築家を喚起させた。
Suzuki氏に引き続き、ゴア氏のダブルパンチの講演は僕にとって環境問題をさらに深く勉強する必要性を自覚させてくれた。
毎年、AIA大会はフェロー会員晩餐会で締めくくられる。ブラック・タイ、つまりタキシードがルールの夕食会だ。目的はその年の新フェロー会員を称える集まりであると同時に、海外から招待された建築家たちの交流の場ともなるネットワーキングの場ともなっている。
昨年から、日本でも是非JIAフェロー制度をスタートさせて、このようの特別な晩餐会を開いてJIAを盛り上げていきたいと思っている。
アメリカの国際政策について批判的であるが、AIA、つまり建築家たちの活動が非常にグローバルな視点から有意義であると思っている。85.000人の会員を持つ団体であるから、連邦政府にも多少な影響力を持つことを期待しながら今後もAIA Japan活動に積極的に参加していきたい。
AIA大会が無事に閉会し、僕は明日、早朝に帰路につく。


【GK】

Golden Week Around The World Part 7

2007.05.04

早朝8:15からAIA -JIA会議が開催された。AIA会長の議事進行で進められたが、日本側は仙田会長の挨拶のあと、国広が進行を担当し、AIA側からフェロー制度、integrated practiceなどについて、またJIAからは建築士法改正、JABEEアクレディテーション、能登半島地震などについて説明が行われた。例年のように、年2回の会議は主に情報交換として行われており、とくに緊急な議題もなく9:30までに無事に閉会した。
AIA大会ではCES(日本ではCPD)と言われる継続職能研修制度が実施されていて、建築家たちは各自のメニューで何百とあるセミナーを聴講し、単位を取得する。僕も、時間を見つけて単位を取ることに努めた。午後4時ごろ、一旦ホテルの部屋に戻り休憩をとった。夜にはサンアントニオ支部主催のフィエスタが予定されているので仮眠をとるためだ。
しかし、僕が睡眠から一時覚めたのが8時を回っていて、パーティはもう始まっていたので、そのまま寝ることにした。たまには休養もいいのではないかと思いつつ...

【GK】

Friday, May 25, 2007

Golden Week Around The World Part 6


2007.5.03

今朝は日系カナダ人の生物学者で、環境活動家であるDavid Suzuki博士の基調講演を聞いた。今年のAIA大会は「Green Architecture」つまり、建築家がいかに環境問題について社会でリーダーシップをとっていくべきかという大きなテーマを掲げた。Suzuki氏は地球温暖化の問題を大きく取り上げ、現状と今世紀中頃の地球環境の変遷を解説し、その危機的状況を指摘した。また、市民一人々々の意識改革を呼びかけるとともに、消費至上主義に対する強い非難を熱弁した。4000人収容する会場を埋めつくした建築家たち(もちろん僕も含めて)に強いインパクトを与えた講演であった。学生たちにこのメッセージを伝えようと決意を固めた。AIA Japan代表団の一員として北西地区理事会に参加した。AIAの一員として初めての全国大会にてのお役目だ。AIAはJIAと比べて会員数が15倍の巨大組織であるが、その西海岸、アラスカ、ハワイ、日本、香港と環太平洋地域をカバーするのがこの地区だ。僕たちはAIA Japanとして初めてこの会に参加した。まだまだ、組織としてはこれからの日本勢であるが、もうすでに北西地区大会を2011年に開催する意向を発表するまでに積極的に我々の存在をアピールした。

【GK】

Golden Week Around The World Part 5

2007.05.01

昨日は一日移動日でデュッセルドルフからフランクフルト、ワシントンと飛んでここテキサス州サンアントニオにやってきた。今日から4日間、恒例のアメリカ建築家協会大会が開催される。早朝、仙田会長一行とレストランで朝食をとり、直後にコンベンションセンターに向かい、登録を済ませる。もう6時からIntegrated Practiceに関するセミナーが行われており、日本からJIA一行もこれに参加していることを知る。VIPルームに向かい、国際関係担当のEllen Delageさんに会って挨拶を済ませた。今日は夜のカクテルパーティまで何もないので、ゆっくりと大会会場を回ることにした。




【GK】

Golden Week Around The World Part 4

2007.04.30



ジュネーヴからドイツに飛んだ。目的地はデュッセルドルフの近郊にあるEssenという町にある産業遺産の視察だ。Zollvereinは元炭鉱とその精錬工場跡地で、世界遺産に指定されている、この地方の重要な観光資源の一環だ。炭鉱と工場の建物を博物館化している部分と、レム・コールハウスがマスタープランを担当したデザインミュージアム、そして最近完成したSANAA設計のデザイン学校をしさつするのが目的だ。
上海産業遺産再生ワークショップから3年近く産業遺産に興味を持ち、調査やワークショップなどを重ねてきたが、本格的に再生された産業遺産を視察するのは初めてだ。建物のスケールは素晴らしい迫力で、工場内の計器などの羅針盤などはシュリアルだ。そんなっ工場の廃墟的な要素を残し、白壁の躯体を挿入して優れたデザインの製品を展示してるでデザイン博物館も迫力がある代物だ。妹島・西澤チームのデザイン学校は、7層ほどのRC打ち放し建物で、不規則に開けられた開口部が、特に角の部分に集中していて内部から体験すると周囲の風景が巧みに切り取られていて心地が良い。やはり建築は体験しなければ評価できないと思った。でも、なぜドイツのこのコンテキストで打ち放しを選んだのだろう?工場群の色調のなかでSANAAのデザインスクールだけが目立つ。




【GK】

Golden Week Around The World Part 3






2007.4.29

出発は早朝4時半だ。6時15分の飛行機でフランクフルト経由でジュネーヴに向かった。
ジュネーヴは人口400,000人の静かな町だ。Rhone河が湖となり町の中心に広がっている。その水は驚くほど澄みきっていて、橋桁で日陰になっている部分をよく見ると、大きな魚が静かに佇んでいる。時計で有名なのがスイスだが、ここは中世の街並みが、城壁あとに守られ、小高い丘に集中している。まさにこの地方の観光都市というところだ。
一泊となるが、宿泊はAga Khan財団がとってくれた国連ヨーロッパ本部、そして財団本部に近いHotel Edenというちょっとしゃれたヨーロッパ的な雰囲気の漂うホテルだ。
ホテルの前に、ヘルムト・ヤーン設計でバイオテクノロジー企業の本社ビルを見つけたので早速、散歩がてらに建物を画像に収めた。
12時に財団のディレクターがホテルまで迎えに来てくれて、すぐ近くのAga Kahn財団本部を訪ねた。WTOもすぐ向かい側にあり、ニューヨークにも負けない、まさに世界の中心という感じの町だ。財団の建築賞についての説明を聞いたあと、事務所内の案内をしてもらい、昼食へと向かった。昼食は町の中心で湖畔に位置する高級ホテル街に一角にあるテラスレストランでとることになった。昼食はジュネーヴの湖でとれる地魚のperchのソテーと蒸し野菜とあっさりとしたスイス料理だ。途中から、ディレクターの友人の写真家一家がやってきてアフリカ取材旅行の話をしてくれた。
昼食後、ジュネーヴで見るべき地区と建築をざっくりと案内してくれて、ディレクターと別れた。そのあと、2時間ばかり街を早足で歩いて写真に収めた。
夜は財団の若手で、僕の後輩となるインド系のカナダ人と奥さんに案内され、ジュネーヴでいちばん美味しいといわれるステーキとフライドポテトしか出さないレストランで夕食を共にした。
17,8年ぶりのスイスへの短い旅であったが、目的を果たすことができたことと、観光を含めていろいろな収穫が得られたと感じた。




【GK】

Golden Week Around The World Part 2




2007.4.28

UIAトリノ2008世界大会のテーマとプログラムを検討する国際学術委員会は今回で2回目となる。2006年9月に第一回委員会が開催され、世界各国からエキスパートが招集された。僕もこのパネリストに選ばれ、なかには僕の学生時代にすでに国際的な建築評論家として有名だったRykwert教授も含まれていて、前回は緊張感のなか委員会に出席した。
しかし、今回は、前回に打ち解けた気分となったおかげでリラックスした雰囲気のなかで委員会が始まった。
僕はホテルで荷物が届くのを待って20分ほど遅れて会場に到着し、地元の委員会からテーマとプログラムのプレゼンテーションを受けた。内容を見てみると、テーマである「Transmitting Architecture(建築の発信)」と具体的な講演、シンポジウムとが明解ではなく、リストアップされた講師たちもヨーロッパ指向と偏っていて委員たちからコメントが出された。「テーマとプログラムとの関連性がよく分からない」、「セッションのテーマであるサステナビリティはテクノロジーからの視点のみでは語れない」など午前中のセッションでは軌道修正が求められた。昼食はトリノ建築家協会事務所の眼下に開ける広場にある屋外レストランでとることとなった。
昼食会ではロスアンジェルスで活躍するTarek Naga氏とRykwert教授、チェコ共和国のVladimir氏などと、基調講演者をノーベル賞受賞者である文学者のOrhan Pamuk氏にしてはどうかなどと話題が盛り上がった。
結局、午後のセッションでは、幅広く世界各地から建築家、文化人、研究者、政治的リーダーを集める方向で、また、NGO、他団体なども大会のセッションへの参加を呼びかけ、また、各委員から講演者たちの提案を募ることで合意した。今回では、委員会が重要な意見を述べ、有効的な提案をだしたことが印象的であり、僕たちは参加した意義を実感した。次回は今年の10月行われることとなり委員会は無事に閉会した。




【GK】

Golden Week Around The World Part 1

2007.04.27

ゴールデンウィークが始まろうとしている。金曜日の朝、成田空港はその気配が感じられた。ルフトハンサ航空に搭乗し、イタリア・トリノに向けて旅立った。翌日に開催される第2回UIA (国際建築家連合)トリノ世界大会国際学術委員会に出席するためだ。3年ごとに行われる建築家コミュニティの「国連総会」で行われる様々な講演、ワークショップ、展示会などの内容に関しての企画を国際的な視点から適切なアドバイスをするグループの一員として半年振りにトリノへと向かう。11時間のフライトの後、フランクフルトに到着した。乗継を待つ間ラウンジでメールなどを見ていて、リラックスし過ぎたこともあって、海外旅行に出かけるようになってから初めてフライトに乗り遅れた。あわてて次のフライトでトリノへ向かった。自業自得だが、フライトに乗り遅れた結果、荷物が同じ便にて到着せず、夜の最終便か翌朝の便となることが知らされた。仕方なく、空港に出迎えたハイヤーでトリノの街へと向かった。今回も一回目のときと同様、おしゃれなブティックホテルが用意されていた。「アートホテル・ボストン」という名のホテルで、館内いっぱいに絵画やアートオブジェが飾られたポストモダンっぽくてキッチュな空間だ。ロビーには委員の何人かと事務局のCさんが僕たちを迎えてくれた。夕食会は夜の8時から(黒猫レストラン)で行われるそうだが、その前に、出発一週間前に東大名誉教授のM先生からの連絡で紹介された現地の女流建築家と打ち合わせをするために彼女をロビーで待った。Lさんはトリノの大学で教鞭をとりながら、地元のアートソサエティのディレクターをもしている親日派の女性だ。2008年のUIAトリノ大会と2011年の東京大会と関連をもつために日イ建築エベントを企画したいとの意向だった。
僕もこれには賛成で、これから具体的な話し合いを行っていこうと約束して別れた。Lさんは、明日から東京、京都を訪問するそうだ。
夕食会はホテルから徒歩10分ほどのところにある大人っぽい、シックなレストランで行われた。ナポリ、ミラノ、トリノなど各地方からの料理で企画されたコースメニューを味わった。今回はイギリス在住の建築史家Joseph Rykwert教授が委員として参加され、僕のテーブルにオーストラリア女流建築家のJTさん、エジプト人建築家のTarek Nagaさん、主催者のLeopoldo氏、Cさんなどと同席した。親交を深めた楽しい夕食の後、ホテルに戻り、荷物を待ったが到着せず、そのままベッドの横たわり一晩を明かした。

                                                                                        【GK】

Thursday, April 05, 2007

New Academic Year 2007

At Kokushikan University, our single cherry tree has blossommed, and on April 1, the new academic year has commenced.
"The Faculty of Engineering", where I teach and have my Kunihiro Laboratory, has become "the School of Science and Engineering".
New freshman class is now on campsus, learning the ropes. Along with my architectural practice and the civic service duties as an architectural professional,
my teaching duty will resume in a week. With the young new faces of the freshmen running about, it is certainly a very exciting week on our campus.
国士舘大学では、世田谷キャンパスでは唯一の桜の木が満開を向かえ、そして4月1日が訪れた。平成18年度新学期が始まった。僕が所属する「工学部」は「理工学部」として生まれ変わった。新一年生がキャンパスに現れ、大学生としての第一歩を歩みだしている。建築家として、また建築活動家としての役目とともに、授業を開講する教員としての役目が再開する。若い、熱い新入生がキャンパスに活気をもたらしてくれているなか、僕にとっては今週はエキサイティングな一週間となっている。
さぁ、頑張ろう!