Thursday, June 07, 2007

本物と流行

2007.06.03

最終日は貸切バスで万里の長城に向かった。長城の観光スポットはいくつかあるが、北京からの観光地で一番見所の「八達嶺」を選んだ。この日の企画はゼミ生たちが、考案したもので「長上コミューン」でのリゾート住宅建築の見学を兼ねて、やはり中国の歴史と現代のアジア建築の2本立てで一日を満喫しようと言うものであった。まずは長城コミューンで隈研吾氏、張英和氏時、古谷誠章氏などの作品を外部から見学氏、いくつかのアジア建築家たちの作品を内部も含めて見学した。学生たちには、やはり、隈さんの「Bamboo Wall」」が一番人気があった。今回、僕たちは連日の曇り空のなかで視察を続けてきたが、これは中国の大都市で見かける排気ガスなどによる空気汚染ではないかと思える。万里の長城では、霧とともに写す写真は皆、神秘的な画像となって出てきた。若者のたちに同行したため、思いもよらず険しいほうの「男路」を一番上まで登ってしまった。

無事に下山し、市内に向かった。夕刻の王府台(ワンフーチン)で屋台を視察し、買物を済ませ、明日早朝の出発に備え、ホテルに戻った。
学会の活動と国広ゼミの旅行を兼ねた北京での5日間は、国広研究室の学生たちにとって、どのような影響を与えたのだろうか?学生たちと同行する旅を終えるごとに考えることである。
【GK】

北京のOld and New建築を求めて







2007.06.02

今日はバスに乗り、オリンピック競技場、798工場などをはじめとして、市内の現代建築を見学した。生憎、北京は曇り空でいい写真が取れない残念な一日となったが、10月に訪れたオリンピック競技場の工事は着実に進んでいて、今回は向かいのオフィスビルから全体の写真を撮ることが出来た。これらのスポーツ施設の完成が待ち遠しい。798工場は3年ぶりとなるが、益々、上海と並んで北京でのアートビジネスは凄まじい。現代アート、映画などの芸術表現は国家の爆発的な経済成長と共に芸術としての品格も急上昇であることが確認できる。特に中国文化の伝統と現代アートとの「普遍的」融合は、世界のアートワールドにすでに影響を与えている。また、798のギャラリーには日本や韓国のアーティスト等の作品も見られた。アジアのアートシーンをここから発信することになるのか?
前衛的な空間から、城内の胡同(フートン)へと向かった。インテリアの仕事で1997年に北京に来たときには、まだまだ多くの胡同が当たり前のように残っていて、路上には市場が栄えていたが、今は保護地区となり、観光的要素が入り混じる場所となってしまった。しかし、学生にとって新しい北京と伝統的な町並みを同時に見て歩くのは刺激的であった思う。
夜は、学会グループから解散し、国士舘大学国広研究室の夕食会と銘打って、北京ダックディナーを開催した。ダック6羽を学生たちと平らげ、他にも数え切れないほどの品々を注文し、北京の夜の宴とした。
【GK】

北京は今世界の中心か?




2007.06.01

この季節の北京は日中30度近い気温で上着はいらない。生憎、天気は曇り空だったが、朝は国広ゼミ・研究室での行動として天安門広場と故宮、そして天壇の見学を計画した。午後は16:00から北京大学で呂教授の研究室による胡同の保護・再生に関しての取り組みと 慶応大学準教授で中国在住の建築家松原弘典氏の講義を聴講した。
ゼミ生たちにとって、中国は別世界のように感じているらしい。その他の学生たちは、タイ、中国、ヨーロッパなどを体験しているので北京という中国の中心都市を感じることは容易のようである。近代中国発展の象徴となる2008年オリンピックの建設ラッシュをタクシーの車窓から眺めながら、城内へと向かった。天安門広場に到着し、全員が集まったところで簡単な説明と中国近代史のあらましを説明し、天安門広場の大都市空間、周囲の建築などを体感しながら、故宮へと進んだ。故宮は彼らにベルトルッチ監督映画「ラストエンペラー」を観るようにと勧めたのでゼミ生も内部空間に対する想像はできていたようだ。正面の門を入って自由行動として解散した。彼ら、一人一人が紫禁城でどのような体験をしたかは今季のゼミ報告書を読むのが待ち遠しい。
僕は、中国建築学会へと向かった。ここでは研究集会の一環として周暢先生による「現代中国建築」についての講義が行われた。張百平事務局長も同席し、韓国で開催されたISAIA Daegu大会以来の再会だった。講義は超える現代建築のスライド情報で、集会参加者にとっては中国事情が理解できる情報であった。
建築学会訪問の後、我々は北京大学へと向かった。
北京大学でも、呂先生の代行として、研究生が胡同について発表し、引き続き松原さんの講義も北京における現代建築を建築計画的観点からの解説された親切な講義だった。毎週日本と中国を往復しながら、設計活動を続ける彼のエネルギーは大変なものだと思い、敬意を評した。
夜は近所のレストランで恒例の懇親会が行われた。90人余りの参加者で盛り上がった会は布野先生の勧めで、多数の乾杯スピーチが行われた。最後に僕が中締めを行い、夕食会は無事に閉会した。
【GK】

JIA副会長の役目を終えて…北京へ

2007.5.31

毎年、5月31日には日本建築家協会(JIA)の総会が開催される。「総会」とは団体の会員全員に対しての一年間の活動報告、会計報告、そして新年度に向けての計画報告と予算案提示などの承認を得る会である。総会では、それらの次第について一般会員からの意見と議論をもとに、各次第に関して承認を得る重要な会合である。2006年度には仙田満会長よりの要請で国際担当副会長の役職を仰せつかった。2006年度は国内では構造計算偽装事件を皮切りに、建築家に影響を与える様々な事件が発覚し、JIAは建設業界と共に国土交通省に対して建築士法改正議論に積極的に参加し、国際基準である統括設計者としての建築家職能の確立に向けて活動を続けてきた。一方、2005年にUIA(国際建築家連合)イスタンブール世界大会にて誘致した2011年東京大会に向けて、小倉善明日本実行委員会(JOB)委員長のもと、芦原太郎、横河健、古谷誠章、横山禎徳、そして小生がそれぞれ、財務、運営、学術、フォーラムジャパン、広報、各部会の部会長として、大会にむけて多数の委員たちと共に計画を進めている。2011年東京大会には世界110カ国余りから1万人の建築家と一般市民たちの参加が予想される建築家の祭典だ。JIAは、この機会に日本のみならず、21世紀の国際社会に向け21世紀の建築家と環境をテーマに社会運動を展開する予定だ。
国際担当として、もう少し日本の建築家たちが国際的視野にたって国内の情勢や自己の建築家としての職能を考えて頂きたいといつも思っている。IT時代では、日本はもう「島国」ではないのだ。それを日本の建築家たちはまだまだ理解していない。

今日は北京に旅立つ日でもある。
毎年、国広ゼミではアジア都市への海外視察旅行を実施している。例年に比べ、今年の旅行を早めの春期中に実施することになったのは、日本建築学会計画委員会春季研究集会という一見格式張った勉強会が北京で行われるのに便乗しようと考えたからだ。この研究集会は、滋賀県立大学教授の布野修司委員長が去年から「国内旅行よりアジアの方が最近は経済的だから」という理由で研究集会を海外で行うようになった。第一回目の韓国集会に布野さんから誘いがかかり、出席したことから、学生にとって海外の大学環境の中で、日本の他大学の学生たちと交流しながら国際的な体験をすることに意義を感じ、国広ゼミ生に、是非、この体験を共有してもらいたいと思った。4泊5日のゼミ旅行は、4年生、M1、M2も参加し27名の国士舘大学生が参加し、我が大学の存在感をアピールすることとなった。今日は成田空港に16:00集合、18:20のノースウェスト航空12便で北京国際空港に向かった。そして、曇り空、摂氏20度の北京に到着したのは、21:30。留学生で国広研究室在籍4年目のM2院生何承儒君の手配により、同じ留学生であった友人でガイドの喬亮さんがバスで送迎してくれ、宿泊場所である北京大学周辺のホテルの向かった。学生は経済的なホテルで一泊1,000円程度、僕はアジアで最大のホテル「Friendship Hotel」に宿泊することになった。

【GK】