Saturday, May 26, 2007

Golden Week Around The World Part 8


2007.5.5

今日は大会最終日だ。結局12時間爆睡して4時に目が覚めた。久しぶりにまとめて睡眠をとったので気持ちがいい。しばらくDavid Suzuki氏の著書を読んでから、朝食に降りる。
会長一行とともに朝食を済ませ、安井設計の佐野さんが企画した日本市場参入ガイドともいうべきセミナーに応援団の一員として、佐野さんを紹介し聴講する。セッションは佐野さんの詭弁な講演で盛り上がった。英語でのコミュニケーションも十分であったし、内容もアメリカ建築家が理解できるよう的確にオーガナイズされていた。
セッションが無事に成功に終わり、次は向いの会議室で行われたInternational Presidents’ Forumにオブザーバーとして参加した。主に環境問題、offshore外注の2点について参加各団体からの報告と意見交換が行われた。このフォーラムは3年目を迎えるらしいが毎年会は充実してきている様子で、国際関連の会議、行事をみてもAIAの国際戦略が垣間見える。午後の目玉となるのがアル・ゴア元副大統領の講演会だ。開催2時間前から列に並び、開場を待つ。その間、30年ぶりにカリフォルニア大学バークレー校時代の同級生とばったりと出会う。僕の後ろに並んでいた男性とその夫人の二人だ。大学時代に付き合い始めて、その後、結婚したのが27年前だそうだ。彼らの事務所を夫人はアメリカ建築界では名のある存在なので噂は聞いていたが、実際に再会できて懐かしかった。二人とも昔のままだ。やはりアジア人は長持ちするのが本当のようだ。
ゴア氏の講演会も刺激的であった。お笑いのように自分の大統領選敗北とその後の一般人としての格差を感じさせる生活を語って観客を巻き込む話術は絶妙だ。本題に入ってもステージを何度も横断し、2時間にわたって地球環境の危機について建築家を喚起させた。
Suzuki氏に引き続き、ゴア氏のダブルパンチの講演は僕にとって環境問題をさらに深く勉強する必要性を自覚させてくれた。
毎年、AIA大会はフェロー会員晩餐会で締めくくられる。ブラック・タイ、つまりタキシードがルールの夕食会だ。目的はその年の新フェロー会員を称える集まりであると同時に、海外から招待された建築家たちの交流の場ともなるネットワーキングの場ともなっている。
昨年から、日本でも是非JIAフェロー制度をスタートさせて、このようの特別な晩餐会を開いてJIAを盛り上げていきたいと思っている。
アメリカの国際政策について批判的であるが、AIA、つまり建築家たちの活動が非常にグローバルな視点から有意義であると思っている。85.000人の会員を持つ団体であるから、連邦政府にも多少な影響力を持つことを期待しながら今後もAIA Japan活動に積極的に参加していきたい。
AIA大会が無事に閉会し、僕は明日、早朝に帰路につく。


【GK】

Golden Week Around The World Part 7

2007.05.04

早朝8:15からAIA -JIA会議が開催された。AIA会長の議事進行で進められたが、日本側は仙田会長の挨拶のあと、国広が進行を担当し、AIA側からフェロー制度、integrated practiceなどについて、またJIAからは建築士法改正、JABEEアクレディテーション、能登半島地震などについて説明が行われた。例年のように、年2回の会議は主に情報交換として行われており、とくに緊急な議題もなく9:30までに無事に閉会した。
AIA大会ではCES(日本ではCPD)と言われる継続職能研修制度が実施されていて、建築家たちは各自のメニューで何百とあるセミナーを聴講し、単位を取得する。僕も、時間を見つけて単位を取ることに努めた。午後4時ごろ、一旦ホテルの部屋に戻り休憩をとった。夜にはサンアントニオ支部主催のフィエスタが予定されているので仮眠をとるためだ。
しかし、僕が睡眠から一時覚めたのが8時を回っていて、パーティはもう始まっていたので、そのまま寝ることにした。たまには休養もいいのではないかと思いつつ...

【GK】

Friday, May 25, 2007

Golden Week Around The World Part 6


2007.5.03

今朝は日系カナダ人の生物学者で、環境活動家であるDavid Suzuki博士の基調講演を聞いた。今年のAIA大会は「Green Architecture」つまり、建築家がいかに環境問題について社会でリーダーシップをとっていくべきかという大きなテーマを掲げた。Suzuki氏は地球温暖化の問題を大きく取り上げ、現状と今世紀中頃の地球環境の変遷を解説し、その危機的状況を指摘した。また、市民一人々々の意識改革を呼びかけるとともに、消費至上主義に対する強い非難を熱弁した。4000人収容する会場を埋めつくした建築家たち(もちろん僕も含めて)に強いインパクトを与えた講演であった。学生たちにこのメッセージを伝えようと決意を固めた。AIA Japan代表団の一員として北西地区理事会に参加した。AIAの一員として初めての全国大会にてのお役目だ。AIAはJIAと比べて会員数が15倍の巨大組織であるが、その西海岸、アラスカ、ハワイ、日本、香港と環太平洋地域をカバーするのがこの地区だ。僕たちはAIA Japanとして初めてこの会に参加した。まだまだ、組織としてはこれからの日本勢であるが、もうすでに北西地区大会を2011年に開催する意向を発表するまでに積極的に我々の存在をアピールした。

【GK】

Golden Week Around The World Part 5

2007.05.01

昨日は一日移動日でデュッセルドルフからフランクフルト、ワシントンと飛んでここテキサス州サンアントニオにやってきた。今日から4日間、恒例のアメリカ建築家協会大会が開催される。早朝、仙田会長一行とレストランで朝食をとり、直後にコンベンションセンターに向かい、登録を済ませる。もう6時からIntegrated Practiceに関するセミナーが行われており、日本からJIA一行もこれに参加していることを知る。VIPルームに向かい、国際関係担当のEllen Delageさんに会って挨拶を済ませた。今日は夜のカクテルパーティまで何もないので、ゆっくりと大会会場を回ることにした。




【GK】

Golden Week Around The World Part 4

2007.04.30



ジュネーヴからドイツに飛んだ。目的地はデュッセルドルフの近郊にあるEssenという町にある産業遺産の視察だ。Zollvereinは元炭鉱とその精錬工場跡地で、世界遺産に指定されている、この地方の重要な観光資源の一環だ。炭鉱と工場の建物を博物館化している部分と、レム・コールハウスがマスタープランを担当したデザインミュージアム、そして最近完成したSANAA設計のデザイン学校をしさつするのが目的だ。
上海産業遺産再生ワークショップから3年近く産業遺産に興味を持ち、調査やワークショップなどを重ねてきたが、本格的に再生された産業遺産を視察するのは初めてだ。建物のスケールは素晴らしい迫力で、工場内の計器などの羅針盤などはシュリアルだ。そんなっ工場の廃墟的な要素を残し、白壁の躯体を挿入して優れたデザインの製品を展示してるでデザイン博物館も迫力がある代物だ。妹島・西澤チームのデザイン学校は、7層ほどのRC打ち放し建物で、不規則に開けられた開口部が、特に角の部分に集中していて内部から体験すると周囲の風景が巧みに切り取られていて心地が良い。やはり建築は体験しなければ評価できないと思った。でも、なぜドイツのこのコンテキストで打ち放しを選んだのだろう?工場群の色調のなかでSANAAのデザインスクールだけが目立つ。




【GK】

Golden Week Around The World Part 3






2007.4.29

出発は早朝4時半だ。6時15分の飛行機でフランクフルト経由でジュネーヴに向かった。
ジュネーヴは人口400,000人の静かな町だ。Rhone河が湖となり町の中心に広がっている。その水は驚くほど澄みきっていて、橋桁で日陰になっている部分をよく見ると、大きな魚が静かに佇んでいる。時計で有名なのがスイスだが、ここは中世の街並みが、城壁あとに守られ、小高い丘に集中している。まさにこの地方の観光都市というところだ。
一泊となるが、宿泊はAga Khan財団がとってくれた国連ヨーロッパ本部、そして財団本部に近いHotel Edenというちょっとしゃれたヨーロッパ的な雰囲気の漂うホテルだ。
ホテルの前に、ヘルムト・ヤーン設計でバイオテクノロジー企業の本社ビルを見つけたので早速、散歩がてらに建物を画像に収めた。
12時に財団のディレクターがホテルまで迎えに来てくれて、すぐ近くのAga Kahn財団本部を訪ねた。WTOもすぐ向かい側にあり、ニューヨークにも負けない、まさに世界の中心という感じの町だ。財団の建築賞についての説明を聞いたあと、事務所内の案内をしてもらい、昼食へと向かった。昼食は町の中心で湖畔に位置する高級ホテル街に一角にあるテラスレストランでとることになった。昼食はジュネーヴの湖でとれる地魚のperchのソテーと蒸し野菜とあっさりとしたスイス料理だ。途中から、ディレクターの友人の写真家一家がやってきてアフリカ取材旅行の話をしてくれた。
昼食後、ジュネーヴで見るべき地区と建築をざっくりと案内してくれて、ディレクターと別れた。そのあと、2時間ばかり街を早足で歩いて写真に収めた。
夜は財団の若手で、僕の後輩となるインド系のカナダ人と奥さんに案内され、ジュネーヴでいちばん美味しいといわれるステーキとフライドポテトしか出さないレストランで夕食を共にした。
17,8年ぶりのスイスへの短い旅であったが、目的を果たすことができたことと、観光を含めていろいろな収穫が得られたと感じた。




【GK】

Golden Week Around The World Part 2




2007.4.28

UIAトリノ2008世界大会のテーマとプログラムを検討する国際学術委員会は今回で2回目となる。2006年9月に第一回委員会が開催され、世界各国からエキスパートが招集された。僕もこのパネリストに選ばれ、なかには僕の学生時代にすでに国際的な建築評論家として有名だったRykwert教授も含まれていて、前回は緊張感のなか委員会に出席した。
しかし、今回は、前回に打ち解けた気分となったおかげでリラックスした雰囲気のなかで委員会が始まった。
僕はホテルで荷物が届くのを待って20分ほど遅れて会場に到着し、地元の委員会からテーマとプログラムのプレゼンテーションを受けた。内容を見てみると、テーマである「Transmitting Architecture(建築の発信)」と具体的な講演、シンポジウムとが明解ではなく、リストアップされた講師たちもヨーロッパ指向と偏っていて委員たちからコメントが出された。「テーマとプログラムとの関連性がよく分からない」、「セッションのテーマであるサステナビリティはテクノロジーからの視点のみでは語れない」など午前中のセッションでは軌道修正が求められた。昼食はトリノ建築家協会事務所の眼下に開ける広場にある屋外レストランでとることとなった。
昼食会ではロスアンジェルスで活躍するTarek Naga氏とRykwert教授、チェコ共和国のVladimir氏などと、基調講演者をノーベル賞受賞者である文学者のOrhan Pamuk氏にしてはどうかなどと話題が盛り上がった。
結局、午後のセッションでは、幅広く世界各地から建築家、文化人、研究者、政治的リーダーを集める方向で、また、NGO、他団体なども大会のセッションへの参加を呼びかけ、また、各委員から講演者たちの提案を募ることで合意した。今回では、委員会が重要な意見を述べ、有効的な提案をだしたことが印象的であり、僕たちは参加した意義を実感した。次回は今年の10月行われることとなり委員会は無事に閉会した。




【GK】

Golden Week Around The World Part 1

2007.04.27

ゴールデンウィークが始まろうとしている。金曜日の朝、成田空港はその気配が感じられた。ルフトハンサ航空に搭乗し、イタリア・トリノに向けて旅立った。翌日に開催される第2回UIA (国際建築家連合)トリノ世界大会国際学術委員会に出席するためだ。3年ごとに行われる建築家コミュニティの「国連総会」で行われる様々な講演、ワークショップ、展示会などの内容に関しての企画を国際的な視点から適切なアドバイスをするグループの一員として半年振りにトリノへと向かう。11時間のフライトの後、フランクフルトに到着した。乗継を待つ間ラウンジでメールなどを見ていて、リラックスし過ぎたこともあって、海外旅行に出かけるようになってから初めてフライトに乗り遅れた。あわてて次のフライトでトリノへ向かった。自業自得だが、フライトに乗り遅れた結果、荷物が同じ便にて到着せず、夜の最終便か翌朝の便となることが知らされた。仕方なく、空港に出迎えたハイヤーでトリノの街へと向かった。今回も一回目のときと同様、おしゃれなブティックホテルが用意されていた。「アートホテル・ボストン」という名のホテルで、館内いっぱいに絵画やアートオブジェが飾られたポストモダンっぽくてキッチュな空間だ。ロビーには委員の何人かと事務局のCさんが僕たちを迎えてくれた。夕食会は夜の8時から(黒猫レストラン)で行われるそうだが、その前に、出発一週間前に東大名誉教授のM先生からの連絡で紹介された現地の女流建築家と打ち合わせをするために彼女をロビーで待った。Lさんはトリノの大学で教鞭をとりながら、地元のアートソサエティのディレクターをもしている親日派の女性だ。2008年のUIAトリノ大会と2011年の東京大会と関連をもつために日イ建築エベントを企画したいとの意向だった。
僕もこれには賛成で、これから具体的な話し合いを行っていこうと約束して別れた。Lさんは、明日から東京、京都を訪問するそうだ。
夕食会はホテルから徒歩10分ほどのところにある大人っぽい、シックなレストランで行われた。ナポリ、ミラノ、トリノなど各地方からの料理で企画されたコースメニューを味わった。今回はイギリス在住の建築史家Joseph Rykwert教授が委員として参加され、僕のテーブルにオーストラリア女流建築家のJTさん、エジプト人建築家のTarek Nagaさん、主催者のLeopoldo氏、Cさんなどと同席した。親交を深めた楽しい夕食の後、ホテルに戻り、荷物を待ったが到着せず、そのままベッドの横たわり一晩を明かした。

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